城址とガラ紡の里山暮らし
愛知県豊田市松平。徳川家のルーツにあたる里山です。その里山に2014年から暮らしはじめた家族のどたばた。松平で祖父が営んできたガラ紡のあれこれ、松平のなかでも大給城址の季節の移ろいを紹介していきます。
綿を訪ねて・天竹神社編⑦ 暑い地域から
 ふっと疑問に思い、綿の起源を調べてみました。(参考『ワタの絵本』農文協より)

  • 5000年前に栄えていたインドのモヘンジョダロという遺跡から木綿繊維の切れ端がみつかった。
  • ペルーのインカ帝国以前の古墳から木綿布につつまれたミイラが発見。
  • メキシコのテワカン渓谷から紀元前5500年の綿花が見つかる。

 すでに7500年以上も前から綿はあったんですね。それもインド・ペルー・メキシコなど、もともと暑い地域の植物なのです。

 やがて寒さにも慣れながら、中国で13世紀、朝鮮で14世紀に綿花栽培が始まり、そして日本に再び15世紀に伝わったとのことです。

 きっと崑崙人の綿がうまくいかなかったのは、当時の気候に合わなかったからかもしれませんね

[2012/12/23 07:22] | 綿を訪ねて・天竹神社 | トラックバック(0) | コメント(0) |
綿を訪ねて・天竹神社編⑥ 崑崙人
  それはひとりの人物画像です。棉祖神とされている崑崙人と説明がされています。

121222崑崙人 

  これが神社で伝わっている古画像かどうかはわかりませんが、神様ように描かれていますね(私には仏画像のようにもみえます)。綿の種が入っていた壷も描かれています。

  ただ、崑崙人が伝えた綿はうまく育たなかったようで、姿を消してしまいました。15世紀末に中国・朝鮮から再び種が入ってきて、全国に綿が広まりました。
[2012/12/22 11:12] | 綿を訪ねて・天竹神社 | トラックバック(0) | コメント(0) |
綿を訪ねて・天竹神社編⑤ 展示物
  資料館には、糸車・綿繰り機など綿にかかわる道具、綿問屋が使っていた帳面、綿で作られた前掛けなどが展示されていました。 

121221展示① 

121221展示② 

  綿というものが、日常生活のなかに「みえていた」と伝わるものでした。

  ありそうでなかったのが、ガラ紡機の展示でした。

  さて、資料館は外にあり、ガラスが光ってなかなか細かい字が読めませんでした。それでも、目を凝らしてみると、ある展示物に目がとまりました。
[2012/12/21 06:56] | 綿を訪ねて・天竹神社 | トラックバック(0) | コメント(0) |
綿を訪ねて・天竹神社編④ 全国に綿問屋・商社
  天竹神社の鳥居や石柱には、全国にある綿問屋や商社の名前が彫られています。 

121220鳥居① 

121220鳥居② 

121220手洗い  

  名古屋・神奈川・富山・広島・福岡・東京…全国の綿業者の方々が、この神社に願をかけていたかが伝わります。それに全国に綿にかかわる問屋・商社があることも驚きました。

さて、神社内を歩いているとある建物をみつけました。『棉資料館』とあります。

121220棉資料館
境内のなかに綿にかかわるものが展示してあります。
[2012/12/20 06:53] | 綿を訪ねて・天竹神社 | トラックバック(0) | コメント(0) |
綿を訪ねて・天竹神社編③ 日本後記・類聚国史
 神社の入口に「御由緒」という石碑がありました。この神社の由来が書かれています。
 
121219由緒 
  • 延暦18年(799年)7月にこの地に崑崙人(こんろん人・今のインドシナ半島あたり)」が漂着した。この崑崙人が壷に綿の種をいれていて、日本に初めて綿の栽培方法を伝えた
  • この崑崙人の古画像が神社にあり棉祖神としてあがめた。綿が入っていた壷は、今も宝壷として神社に保管している。
 どうしてそんな歴史がわかるのか?と疑問に思い調べてみると、崑崙人の漂着は『日本後紀』『類聚国史』に記述されているそうです。昔、日本史で習った平安時代の歴史書の名前に、まさかここで再会するとは不思議な感覚です。
[2012/12/19 06:10] | 綿を訪ねて・天竹神社 | トラックバック(0) | コメント(1) |
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