城址とガラ紡の里山暮らし
愛知県豊田市松平。徳川家のルーツにあたる里山です。その里山に2014年から暮らしはじめた家族のどたばた。松平で祖父が営んできたガラ紡のあれこれ、松平のなかでも大給城址の季節の移ろいを紹介していきます。
【熱田空襲の戦跡めぐり④ 千年八幡神社】
 熱田空襲の戦跡めぐりについて綴っています。

 最終地は、千年八幡神社です。鳥居や石柱に当時の被爆した跡が残っています。

 地元に住む参加者からは「毎日この前を通っているが、全然気づかなかったし知らなかった」。確かに指摘されなければ気づきません。敷地内には、住民の犠牲を追悼した碑もあります。

180531千年八幡神社① 

180531千年八幡神社②



 神社では、後藤さんから当時の体験について語っていただきました。

  後藤さんは14歳で動員学徒として部品加工を行っていました。空襲では、たまたま犠牲はまぬがれたものの、カバンは吹き飛ばされて、気づいたら土に埋もれていました。頭部に破片があたりケガをしましたが、病院へトラックで運ばれて一命はとりとめました。
 
 参加者からは「事前に警報が発令されて避難ができなかったのか」という質問が出されました。すると、「母が司令部で働いていた」とい参加者から、熱田空襲の警報はミスだったと紹介がされました。

 1945年6月9日、従業員たちが作業を開始した直後に空襲警報が発令され、いったん工場外に避難したが、8時45分解除になったので、持ち場にもどりました。その直後に9時17分にふたたび空襲警報、それと前後して高度5千mの低空からB29、42機が巨大爆弾をつぎつぎと投下しました(中略)。

 これは明らかに東海軍管区司令部の判断ミスでした。この日の空襲作戦は西宮・明石・名古屋の同時攻撃であったため、琵琶湖付近の敵機をすべて関西に向かうと謝って判断したための警報ミスでした。しかし、基本的には粗末な監視体制と武器生産優先という、政府・軍の人命軽視政策がもたらした惨劇でした。(『愛知の戦跡遺跡ガイド』より)


 戦跡は平和の語り部です。何気ない日常の風景も、このような戦跡めぐりを通じて、景色が違ってみえてくると感じました。後藤さん、ありがとうございました(終わり)

[2018/05/31 06:39] | 戦跡 | トラックバック(0) | コメント(0) |
【熱田空襲の戦跡めぐり③ 被爆塀が語るもの】
 熱田空襲の戦跡めぐりについて綴っています。

 堀川沿いのチトセプロムナードには、被爆した塀が展示されています。説明碑には次のように記されています。

180530プロムナード


 「この護岸は昭和八年に築造され、平成四年度から実施したマイタウンリバー整備事業により新たな護岸の設置にあたり撤去したものの一部である」
 
 驚くのは、コンクリートや鉄骨をも壊す破壊力です。

 1944年12月13日から本格的に名古屋は空襲をうけました。多くは、軍機が大挙しての焼夷弾などによる攻撃でした(60機から最大480機)。

 しかし、熱田空襲はわずか42機の攻撃で、8分という短時間に2068人が犠牲になりました。名古屋を襲った空襲のなかでもっとも犠牲者が多く、群を抜いています。

 使われたのは最新の2トン爆弾でした。後藤さんによれば「護岸コンクリートが破壊されるということは横に破片が飛ぶということ。建物や地面にふれるとすぐに破裂したものと思われます」。

180530被爆塀


 こんなに次から次へと破片が襲ってきては逃れようがありません。物言わぬ被爆塀から、当時の阿鼻叫喚が浮かんできます。

 多くの戦争の爪跡が年々と消えていくなか、このように塀が記念として残されたのは、せめてもの救いです。(続く)

[2018/05/30 06:42] | 戦跡 | トラックバック(0) | コメント(0) |
【熱田空襲の戦跡めぐり② 2カ所の地蔵堂】
  熱田空襲の戦跡めぐりについて綴っています。

  まずは2か所の地蔵堂をめぐりました。

  ひとつは、愛知時計電機正門にあります。愛知時計従業員と動員学徒を追悼しています。

180529愛知時計地蔵堂 

  もうひとつは、愛知時計北端にあります。こちらは地域住民の犠牲者を追悼しています。

180529熱田地蔵堂 

 
  当時、愛知県には軍需工場が点在しており、名古屋市南部には三菱や愛知航空などがありました。愛知時計電機は戦時中は魚雷や軍艦の計器を製造。当時は2万2千人が就業していました。

  1945年6月9日午前9時17分から約8分間に集中して米軍が爆撃。犠牲者には、中京女子高校や愛知商業高校など学徒動員もいます。

  毎年6月9日には追悼式が行われています。(続く)

[2018/05/29 06:45] | 戦跡 | トラックバック(0) | コメント(0) |
【熱田空襲の戦跡めぐり① 8分の攻撃で2068人の犠牲者】
 私のもうひとつの顔は、コープあいち九条の会の事務局です。コープあいち九条の会とは、「憲法を守り、活かしていく」ことを目的に。コープあいちの役職員や組合員で組織しています。

 主な活動の一つが、愛知県下の戦跡めぐり。5月27日には、熱田空襲の戦跡をめぐりました。

 1945年6月9日に熱田区にあった愛知時計電機などを標的に米軍が攻撃。わずか8分あまりに2,068名の犠牲者を出しました。今でも区内に爪跡が残っています。

 ガイドをしてくださったのは、熱田区にお住いの後藤幸雄さん。当時、愛知時計で学徒動員として空襲をうけ、今は語り部をされています。当日は16人が参加しました。

180528戦跡めぐり


 しばらく熱田空襲の戦跡めぐり様子をつづります。(続く)

[2018/05/28 06:37] | 戦跡 | トラックバック(0) | コメント(0) |
【千種区戦跡めぐり 民間戦災傷害者の碑】
 23日には私も事務局をつとめるコープあいち九条の会の戦跡めぐり。今回は名古屋市千種区上野地域です。千種公園や愛工大名電高校、ナゴヤドームのあたりです。25人の参加でした。

 ここの戦跡めぐりを企画するのは4回目。こちらのブログでも過去に紹介しています。

http://ogyuubito.blog.fc2.com/blog-entry-430.html

 今回から千種公園の「民間戦災傷害者の碑」をコースに加えました。

170924碑①


 死傷した民間人も国が擁護すべきという運動は名古屋から始まりました。杉山千佐子さんを先頭にして行われ、2010年から名古屋市は独自の民間戦災傷害者見舞金制度を始めました。

そして、2014年には名古屋市が千種公園に「民間戦災傷害者の碑」を建てました。石碑には戦争に市民が巻き込まれないようにしようとも誓っています。なかなか立派な石碑です。

170924碑②


今回の戦跡めぐりでも、被弾塀や陸軍兵器補給廠の塀、焼け残ったクスノキ、三菱の「殉職碑」は定番コース。

このコースのしめくくりは、やっぱりナゴヤドーム。

170924ドーム①


 総合案内所に「平和への礎となられた人々を忘れません」というプレートが掲げられています。なかなか格調の高い文章です。

 この日、ナゴヤドームはデーゲームが行われていました。観客のみなさんにも、このプレートをぜひ知ってほしいですね。

170924ドーム②


 今回、ガイドしていただいた栗本さんから、「碑文や殉職碑には、米軍からの犠牲が強調されています。しかし、なぜ犠牲をうけたのかを考えてほしいです。ここでつくられたエンジンや兵器でアジアに加害をもたらしたからです。その事実は、碑文からは読みとれません。日本がどんな加害をアジアで行ったのか、歴史を学んでしっかりふまえてほしいです」という言葉。

 今の米国と北朝鮮の「チキンレース」に日本は加担せず、九条の精神で役割を果たしてほしいですね。歴史を繰り返さないためにも。

 そんな感想をもった戦跡めぐりでした。

 実は、今回参加いただいたYさんご夫妻とお知り合いになりました。Yさんは、中部産業遺産研究会会員のおひとりで、ガラ紡についても関心をお持ちです。思わぬ出会いに驚きました。そんな出会いが広がるのも、戦跡めぐりの良さです。

[2017/09/24 06:01] | 戦跡 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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