城址とガラ紡の里山暮らし
愛知県豊田市松平。徳川家のルーツにあたる里山です。その里山に2014年から暮らしはじめた家族のどたばた。松平で祖父が営んできたガラ紡のあれこれ、松平のなかでも大給城址の季節の移ろいを紹介していきます。
【南島原の正月休み③ 一億人の胃袋とレタス畑】
 南島原での正月休みについて綴っています。

 実家のまわりにはレタス畑が広がっていました。有明海と雲仙を背景に美しい風景です。

170108レタス畑


 島原半島はとても豊かな土壌です。愛知でも島原産のじゃがいもやイチゴをよく目にします。

 それにJA島原雲仙のキャッチフレーズは「一億人のいぶくろ」。島原半島が胃袋に似ているのですが、まさに日本の胃袋を満たしているのが島原産の農産物ですね。

 しかし、実感のまわりでは耕作が放置されて荒れている畑がみられます。パートナーの小学校は閉校になりました。子どもの数が減り、今後自治機能が維持されるのか心配です。

 救いは、近くのJAにTPP反対を掲げる看板があったこと。美しい景色をみながらも、日本の「胃袋」の行く末を考えてしまいました。

[2017/01/08 11:41] | 長崎・島原から | トラックバック(0) | コメント(0) |
【南島原の正月休み② のんびり ほっこり】
 今日は七草の日。松平郷は七草の里。今年も七草がふるまわれています。残念ながら、仕事のために今年は味わうことができません。とっても残念です。

 さて、長崎・島原の正月休みについてつづっています。

 元日には3家族、総勢14人が集まりました。大人数が集まると、とってもにぎやか。クロスワードパズルをしたり、みんなで温泉に入りに行ったり、長崎の雑煮をいただいたり。

 2日目、娘たちはバトミントンを楽しみました。

 昼食は、妹夫妻がダッチオーブンでピザをふるまってくれました。炭をオーブンの上に置いて焼くという方法を知りました。娘たちもピザづくりを楽しみました。

170107オーブン


 夜は、百人一首もしました。

170107百人一首


 お義父さんお義母さんがずっと準備してくださって、本当にありがたいです。
 
 親戚と家族が一緒に楽しむ、正月休みらしい正月。穏やかな天気で、あたたかい日より。けして派手ではないのですが、こんなほっこりした時間こそ、とても味わいがあります。(続く)

[2017/01/07 06:22] | 長崎・島原から | トラックバック(0) | コメント(0) |
【南島原の正月休み① 美しい初日の出】
 今年の正月休みは、初めて長崎・南島原へ。パートナーの実家で過ごしました。

 これまで仕事の都合で、正月に帰省したことはありませんでした。短期間ではありましたが、昨年夏に義父が入院したこともあり、「せめて正月は長崎でみんな集まろう」と相談しました。

 長崎・島原へは31日昼に豊田を出発。大阪南港から午後5時過ぎにフェリーで出発。部屋は満室で、とても多くの人数がフェリーに乗船していました。

 年越しは船上で迎えました。

 朝5時半過ぎに到着。九州自動y車道を経由して熊本・長洲港に午前8時到着。有明海から登る朝日はとてもまぶしいものでした。

170106初日の出


 「太陽の恵みをいっぱい受けた1年でありますように」と心から思いました。

 午前8時45分には長崎・多比良港へ。午前9時半ごろに長崎・南島原に到着。義父母があたたかく迎えてくれました。
 
 長崎・島原の正月休みの様子を書いていきます。(続く)

[2017/01/06 05:58] | 長崎・島原から | トラックバック(0) | コメント(0) |
【南島原へ⑧ まんじゅうと煮つけ】
島原の帰省についてつづっています。

こちらでは食事も堪能しました。皿うどん・ちゃんぽん・具雑煮・かんざらしなど、いわゆる長崎名物はもちろんおいしかったです。

ですが、一番おいしかったのは、お義母さん手づくりのまんじゅうと魚の煮つけでした。

 まんじゅうは、小麦とあんこの素朴なもの。小豆はお義父さんがつくりました。

150822まんじゅう - コピー


 魚はブリやあらかぶです。私は骨ごとしゃぶりついてしまいました。

150822煮つけ



 島原への4日間の帰省は、あっという間に終わりました。今回もあらたな発見がありました。

 距離があるために2~3年に1回しか帰られません。次はいつになるかわかりませんが、パートナーとの縁でつながった島原をこれからも注目していきます。

[2015/08/22 06:33] | 長崎・島原から | トラックバック(0) | コメント(0) |
【南島原へ⑦ 火山はすぐ隣に】
長崎・島原の帰省の様子を綴っています。

長崎・島原半島にある雲仙普賢岳。大規模噴火は1991年6月。もう24年になるのですね。

150821普賢岳

私にとって物心ついた時の大規模自然災害は、雲仙普賢岳の噴火でした。当時は大学1回生です。火砕流で巻き込まれた報道関係者ら43人のことを知ったときは衝撃でした。

 今回の帰省でも雲仙普賢岳の被災地や資料館を訪ねました。火砕流で被災した大野木場小学校や、埋まった家屋へ。

150821大野木場小学校

150821家屋


 帰省のたびに被災地を訪ねますが、そのたびにあらたな発見をします。

 今回気づいたのは、雲仙普賢岳の災害は5年にも及んでいたのですね。

 どうしても注目されるのは1991年6月の大規模噴火です。しかし、1990年11月から1996年5月の終息宣言まで約2000日。その間には、家が流された方や農地を奪われた方もいるわけですね。その間に、被災された方々は仮設住宅で住まわれていました。阪神大震災・東日本大震災をはじめとする自然災害の光景と重なります。

 おりしも、桜島の噴火がいわれています。御嶽山の噴火で亡くなった方もいます。

 雲仙普賢岳の噴火は1991年以前には約200年前の江戸時代にありました。自然の時間軸は人間の感覚とは大きく異なるものですが、もはや火山の噴火は私たちの身近にある時代になったのです。

 火山の前では人間は小さいものなのです。だからこそ、桜島近くの川内原発の再稼働などはやってはいけないのです。(続く)

[2015/08/21 05:48] | 長崎・島原から | トラックバック(0) | コメント(0) |
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