城址とガラ紡の里山暮らし
愛知県豊田市松平。徳川家のルーツにあたる里山です。その里山に2014年から暮らしはじめた家族のどたばた。松平で祖父が営んできたガラ紡のあれこれ、松平のなかでも大給城址の季節の移ろいを紹介していきます。
ワタづくり2012⑩ 綿農家はいるの?
綿繰りをしながら、「綿農家の方はどんな機械で綿繰りをしているのだろうか」と思い、ふと
  • 日本に綿農家はいるのだろうか?
  • 綿の自給率ってどれぐらいだろう?
と疑問にもちました。

  私の周りに綿を観賞用に飾っている方はいますが、畑はみません。三河は綿が伝わった地域なので畑もあって良さそうなはず。そこで、インターネットで綿のあれこれを調べてみました。

  すると、がく然とする事実を知ることになりました。(続く)
[2012/10/31 06:07] | ワタづくり2012 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ワタづくり2012⑨ 根気がいる
 綿繰り機には2本のローラーがあります。この間に実綿(みわた。種と綿毛を分ける前の綿のこと)をいれます。
 取っ手を回すとローラーが綿毛を後ろに、種を前に落としていきます。

121030綿繰り実演  
手本をみせてもらいました

121030綿  後ろには綿

121030種  種がとれました

種がきれいにとれるとうれしいものです。ただ、なかなか根気が必要です。「座布団分の綿を得るには、どれだけの綿繰りが必要なのだろうか」と考えると、綿を収穫する昔の農家の苦労がしのばれます。 (続く)

[2012/10/30 05:58] | ワタづくり2012 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ワタづくり2012⑧ 綿繰り
 綿毛のなかに種が数個あります。しかも、綿毛と種はとても強力に結びついています。綿として使えるようにするためには、この種を取らなくてはいけません。綿毛から種をとりのぞく作業を「綿繰り」といいます。手でできないことはありませんが、なかなかきれいにできません。

 そこで、江戸時代のひとは「綿繰り機」という道具を使って、綿毛と種を分けていました。発見館にはその綿繰り機があります。収穫した綿で綿繰りに挑戦です。

121029綿繰り 娘が綿繰りに挑戦
(続く)
[2012/10/29 05:51] | ワタづくり2012 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ワタづくり2012⑦ 収穫
 初めて育てた綿も、ひとつの実を残すのみ。3本の棉から収穫した綿は写真のとおりです。

121028綿  (左がアジア綿 右がアメリカ綿)

 この収穫量が多いのか少ないのかはよくわかりません。ただ、これまで「サボテンをも枯らす」という私たち家族が、とにかく「育てた」経験が大事です。育てる楽しみを味わいました。

 さて、収穫した綿をどうしようか・・・。苗を頂いた発見館へ行くことにしました。
[2012/10/28 08:33] | ワタづくり2012 | トラックバック(0) | コメント(0) |
薪ストーブ2012⑤ 割れない・・・
  初めて薪割りに挑むにあたり、「たぶん、もちつきのようにすればいいや」。もちつきでしたら、小さいころから杵に親しんできたので自信があります。
  とはいえ、初めての斧です。恐怖心を抱きつつ薪割りにのぞみます。

  「えぃ!」。

121027薪割り 私がブログで初登場 


  無事に薪にあたりました。が、割れず。刃が食い込んでしまいました。
 店員さんが
  
  「食い込んだときには斧をとるのにコツがありますよ」

と、柄をクイッと下ろしました。簡単にとれました。

 その後、2回ほど行いました。薪にはあたるものの、割れず。
 「今は手を振り下ろしているだけなので、腰を落として体の重心を使って割るとできます」。
 娘からは「とっと、下手くそだねぇ」と言われる始末。

 店員さんは苦笑いをしながら

 「初めの1年はとにかく怪我をしないくださいね」

とアドバイスをうけて、薪割り体験は終わりました。
 思い知らされたのは、
 「なんて体を動かしていない生活をしているんだ」という屈辱感
です。里山で暮らすには体が資本です。この屈辱感を忘れずに。

 娘の好きなアニメ『アルプスの少女 ハイジ』でおじいさんが薪を割るシーンがあります。娘から

「とっと、薪はこうやって割るんだよ」

と後日アニメをみて勉強するようにといわれてしまいました。(終わり)

[2012/10/27 16:49] | 薪ストーブ2012 | トラックバック(0) | コメント(2) |
薪ストーブ2012④ 薪割り体験
 駒ヶ根のファイヤーサイドにきた目的は、薪割り体験。店員さんにお願いしました。「斧ももったこともありません。初心者です」と告げました。

121026薪

薪割りは
  1. 斧は重過ぎないものを選んで。
  2. 薪を割る丸太は水平に。薪は丸太の奥におくこと。当たりが外れて、脛や足が怪我することがある(店員さんの友人はそれで大怪我をしたそうです)。安全靴脛あてを用意すること。
  3. 周りにひとがいないのを確認する。
などを教わりました。やはり一番怖いのは怪我です。
 店員さんが薪割りをみせてくれましたが、お見事に一発で割れました。
 いよいよ私が体験することに。「とっと、頑張って」と娘も応援してくれます。(続く)
[2012/10/26 05:56] | 薪ストーブ2012 | トラックバック(0) | コメント(0) |
薪ストーブ2012③ ベンジャミン・フランクリン
 私たちが購入を検討しているのはバーモントキャスティングス社の薪ストーブ。バーモント社は1975年にアメリカ北東部のバーモント州で創設されたそうです。
 しかし、もともと薪ストーブというのは、アメリカの政治家・発明家で有名なベンジャミン・フランクリンが1740年代に改良してつくったのが原点と知りました。さて、我が家が検討しているのは「アンコールエヴァーバーン」というモデルです。

121025薪ストーブ お店にもモデルがありました。
121025クッキーパン 娘が欲しがっているクッキーパン
[2012/10/25 05:58] | 薪ストーブ2012 | トラックバック(0) | コメント(0) |
薪ストーブ2012② インドア派なのに
 薪ストーブを考えだしたきっかけは岩手・宮古でした(カテゴリ『移住計画・なぜ松平編⑦薪ストーブが救う』で綴っています)。

 マンション暮らしの私たちは、床暖房で秋冬を過ごしています。ただ、「火」への憧れは常々ありました。ある本によれば、「火を使えるのは僕らが人間である証拠」とのこと。私が幼いころには、焚き火も野焼も日常的でした。どんど焼の美しさもよく覚えています。

 とはいえ、私は典型的なインドア派。アウトドアの典型である、キャンプ・バーベキューにほとんど興味がありませんでしたし、今でも炭に火をおこす術を持っていません。それが、薪ストーブと言い出すのですからおかしなものです。(続く)
[2012/10/24 06:58] | 薪ストーブ2012 | トラックバック(0) | コメント(0) |
薪ストーブ2012① 駒ヶ根へ
 秋めいてきましたね。先日は長野県の駒ヶ根まで出かけました、ブロともである、百姓スナフキンさんの農園へ。さつまいもや落花生を掘り、充実した一日でした。

 もう一つの目的は、『ファイヤーサイド』という薪ストーブの店へ。計画している家に薪ストーブを設置するのですが、下見と薪割りを体験しにきました。薪ストーブは妻が熱心で、最近は毎日のように雑誌を読んでいます。

121023薪ストーブ本

しばらく、薪ストーブのあれこれを綴ります。(続く)

続きを読む
[2012/10/23 06:42] | 薪ストーブ2012 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ガラ紡を訪ねて・奥殿陣屋編⑦ ガラ紡DNA
 展示されているガラ紡の帽子・かばん・服などは、一宮にある工場で紡がれたガラ紡糸を使っているそうです。稲垣さんは、もともとアパレル業界にお勤めで、ご実家でもガラ紡を紡いでいたとのこと。ガラ紡の今後など、短時間でしたが刺激的な話がきけました。

稲垣さんから「いつかこのような方と出会うのではないかと思っていました。きっとガラ紡DNAがあるんですよ」なんて言われると照れてしまいます。とはいえ、私はガラ紡について知り始めたばかりの身。後日お会いすることを約束し奥殿陣屋を後にしました。いただいた名刺から稲垣さんのHPへ。多彩な活動をなさっていると知りましたが、この話はまたいずれ(奥殿陣屋編・終わり)
[2012/10/22 06:29] | ガラ紡を訪ねて・奥殿陣屋編 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ガラ紡を訪ねて・奥殿陣屋編⑥ マジでキレたんです
 「実は私も同じようなことを考えているのです」と稲垣さんから一枚のチラシをいただきました。『本気布』(マジギレ)とあります。稲垣さんの会社『ファナビス』が紹介されています。

121021ファナビス

 そのチラシには、
  •  「がら紡」は優れたエコマシン
  •  「ひなた染め」はCO2を排出しません
  •  「本気布」をみなさんに紹介しよう
  •  岡崎を綿の花で飾ろう
 などが書いてあります。

  「私も7年前にガラ紡のことを知って、走り出してしまったのです。まさにマジできれてしまったんです」と稲垣さん。私と似たような構想をもっている方が、すでにいらっしゃるなんて・・・驚いてしまいました。 (続く)
[2012/10/21 06:19] | ガラ紡を訪ねて・奥殿陣屋編 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ガラ紡を訪ねて・奥殿陣屋編⑤ 初対面なのに
 受付にみえた稲垣さん。 

121020稲垣さん 

  私:ガラ紡に興味がありまして、今日お邪魔しました。 
  稲:それはそれは、どうしてガラ紡に興味が?
  私:祖父が小野田慎一といい、ガラ紡をしてました。
  稲:そうですか! 名前はうかがったことがあります。
 
 初対面ながら、私の突然の訪問を快く歓迎してくださいました。それをいいことに、私の口から抱いている妄想が次から次へと口から出てきました。

  •  代々続いていたガラ紡は優れたものであると知ってしまったこと。
  •  今は荒れている水車ガラ紡があった跡地を綿畑などに生かしたいこと。
  •  綿畑とガラ紡をいかした里山づくりを松平で行ってみたいこと
  •  城址もあり、特に子どもたちが遊べるような里山にしたいこと。
  •  薪ストーブのある家を準備しており、訪ねたくなるような場所にしたいこと ・・・etc
  稲垣さんは、優しい笑みを浮かべて面白そうに聞いて下さいました。(続く)
[2012/10/20 07:13] | ガラ紡を訪ねて・奥殿陣屋編 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ガラ紡を訪ねて・奥殿陣屋編④ ガラ紡糸でこんなものまで
  『本気布展』では、ガラ紡糸で編まれたさまざまなものが展示・販売されていました。ガラ紡糸ではふきん・タオルぐらいしか知らず、「服や帽子ができるんだ」とますます驚きました。すてきなものばかりです。

121019ジャケット 121019バック
121019糸 121019帽子

  ファッションに疎い私ですが、「身につけてみたい」という欲求が・・・。しかし、持ち合わせがなく断念しました。さて、一番の目的は稲垣さんです。受付に座っている方だとすぐわかりました。不躾を承知で受付へ。(続く)
[2012/10/19 06:12] | ガラ紡を訪ねて・奥殿陣屋編 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ガラ紡を訪ねて・奥殿陣屋編③ 本気布
  奥殿陣屋の手づくりの市では、布・盆栽・木工の作品、そして演奏会も行われていました。みていて楽しいものでした。しかし、目的のガラ紡がみあたらず・・・きくと、その日は書院というところで展示会をしているとのころ。「展示会って・・・?」と疑問に思って足を運ぶと、入口に『がら紡・本気布展』。そして、なんと大きな『本気布』という幕もみえました。
  121018本気布
「おぉ・・・」と思わず声をあげてしまいました。 (続く)

[2012/10/18 06:42] | ガラ紡を訪ねて・奥殿陣屋編 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ガラ紡を訪ねて・奥殿陣屋編② 大給松平氏奥殿藩
奥殿陣屋とは、チラシを読むと「岡崎市村積山自然公園の一角をなす大給松平氏奥殿藩の陣屋旧跡」とあります。「えぇ~。大給と関係があるのか~」とまず驚きました。これから、私が住もうとしているのは大給城のふもと。まさにつながりの深い場所なのです。
121017奥殿陣屋入口  奥殿陣屋入口

121017奥殿陣屋② 「壮大な、なんて…」

  ちょうど、その日は祭の様子。大きなのぼりも立っています。第一駐車場には入れないほど人も多く、天気もよくてまさに「ザ・秋」。入口の直売所で野菜を買って、いざ中へ。
[2012/10/17 06:20] | ガラ紡を訪ねて・奥殿陣屋編 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ガラ紡を訪ねて・奥殿陣屋編① 手づくり市
  豊田の発見館のスタッフさんからも、手づくり塾の中根さんからも、同じ話をききました。
  「岡崎にガラ紡の糸で、いろんなものを作っている方がいらっしゃるよ」。名前は稲垣さんとおっしゃるとのこと。
  いつか会ってみたいなぁと、思っていました。

  ひょんなことから岡崎の奥殿陣屋というところで、毎月第1日曜日に手づくり市というのがあると知りました。

121016奥殿陣屋

稲垣さんも出店されているとききました。さっそく10月の第1日曜日に出かけました。(続く)

[2012/10/16 06:17] | ガラ紡を訪ねて・奥殿陣屋編 | トラックバック(0) | コメント(2) |
松平の暮らし・手づくり塾③ ガラ紡工場跡
 その場所は、滝脇の集落から群界川を渡ったところにありました。通り過ぎてしまいそうな木造の小屋に、ガラ紡で紡がれた糸巻き・よりこがむき出しになっていました。つぼは、ほこりと錆だらけ。奥には撚糸機・合糸機もありました。
121015ガラ紡跡② ガラ紡糸
 121015合糸機① 合糸機
 ガラ紡機は今でこそ近代化遺産となり脚光も浴びていますが、時代のなか衰退をしていきました。
 ここのガラ紡工場主は、

どんな夢や願いを営み始めたのだろうか。
どんなご苦労があったのだろうか。
どうして風雨にさらされたままになっているのだろうか。

 ・・・想像すると心が痛みます。
 
 繁栄と衰退を象徴した、朽ちたガラ紡工場跡。松平の滝川沿いにも工場跡と思われる建物が見受けられます。梅雨空その日は、中島みゆきさんの『時代』の曲が頭をなかで流れていました。


[2012/10/15 07:14] | 松平の紹介 | トラックバック(0) | コメント(1) |
松平の暮らし・手づくり塾② 全校生徒20人
 中根さんは、足助にある三州足助屋敷で竹細工を習われたそうです。滝脇にある夫の実家を、地域の憩いの場として開放しています。「本当は民宿でもやろうかと思ったんだけどね」と話される中根さん。布や竹細工など、手づくりのものが多く見られます。「自分が培った手仕事の技術を若い人に伝えたいと思っているんだよね」という情熱をお持ちです。

 竹細工にきていた近所の方に話を聞きました。ここの学区である滝脇小学校は全校生徒20人というのです。「だから、学区以外からも通えるようになったんだよ。いろんな理由で地元の学校に通えなくなった子どもたちが、ここにきているよ」。
 娘の通う予定の九久平小学校はある程度人数はいるようですが、松平ではそれほど子どもたちが少ないのです。少々驚きました。

 さて、私がガラ紡に興味があると伝えると、「ここでもガラ紡をやっていんだよ。そうそう、この近くに朽ちたガラ紡工場があるよ」と教えていただきました。さっそく見にいくことにしました。
[2012/10/14 19:17] | 松平の紹介 | トラックバック(0) | コメント(0) |
松平の暮らし・手づくり塾① 竹細工と機織
 松平に滝脇という集落があります。その民家のひとつに『手づくり塾』があります。たまたま、チラシで知りました。毎週月曜日に営まれているとのこと。6月のある日、訪ねてみました。主催者は中根さんとおっしゃいます。
121013手づくり塾
 
 中根さん宅では、竹細工の道具や機織りなどがあります。私がうかがったときにも、ご近所の方4~5人ほどが竹細工を、名古屋市千種区からきたという女性が機織りをしていました。(続く)

[2012/10/13 07:06] | 松平の紹介 | トラックバック(0) | コメント(0) |
移住計画・なぜ松平編⑭ 「わしなら、住みたくない」
 よくきかれる質問③
 「わしなら、住みたくない」

 地元の方から、何度も聞かされます。
 「草刈がとにかく大変だ。地域の行事はいっぱいあるし。でも、ほとんど年寄りだ。わしならここに住みたくない。ほんとに住むのか?」。
 
 確かに予定地は年寄りが多く、娘と同じ歳の子どもたちはいません。空き家も多く見受けられます。荒れた田んぼも広がっており、せっかくの棚田も草いっぱいです。イノシシ対策は切実です。
 
 地域力が弱っているのは、間違いありません。
 それでも、地域で協力して草刈をして維持しようとしています。「若い者(私のこと!?)がくるとうれしい」と、あるおばあさんが喜んでくれました。
 
 今、里山は見直されています。荒れた田んぼ・空き家を希望者に住んでもらうようなことができないか・・・そんな「野望」も考えています。

 私にとっては、城址や森が広がるいい場所です。都会から「住みたくなる」とまでいかなくても、「訪ねたくなる」「歩きたくなる」「遊びたくなる」ような里山をつくり、地域の人たちが「ぜひ遊びにきてください」と誇りをもってもらえるようにしたいです。特に、子どもたちが「トトロの森」のように感じてもらいたいです。

[2012/10/12 06:35] | 移住計画 | トラックバック(0) | コメント(0) |
移住計画・なぜ松平編⑬ 同居は失敗するよ
 よくきかれる質問②
  「本当に同居するの? 同居は失敗するよ」

 私は学生時代からひとり暮らしを始めました。「自立する」ことに憧れ、学生時代も新聞奨学生として生計は自分でまかなってきました。名古屋で働くようになっても実家には戻らず、ひとり暮らしを続けました。
妻もまた、高校卒業と同時に名古屋へ。少々口幅ったいですが、「自立したもの同士」が縁あって結婚しました。

 母は夫(つまり私の父)を20年前に亡くしました。その後、再婚して今にいたっています。子育てを終えてから、母なりに「自立して」生きています。

  「同居は失敗する」とよくききます。「嫁と姑」の関係が多いようです。「介護する必要になったら同居を考える」という方もまわりには多くいます。 
 
 正直なところ、同居がうまくいくのかどうか私もわかりません。 
 
 ただ、自立したもの同士が、新たな場所で、新たな関係を築きながら、新たな生活をスタートさせるわけです。「うまくいくかどうか」を心配するよりも、「新たな挑戦」をするという気持ちでいます。
[2012/10/11 07:00] | 移住計画 | トラックバック(0) | コメント(0) |
移住計画・なぜ松平編⑫ 通勤どうするの?
 「松平に家を建てる」と話すと質問・意見をいただきます。しばらく、そんな質問・意見にこたえてみます。

よくきかれる質問①「通勤、どうするの?」
 

 現在、私の職場は名古屋インターのすぐそば。生協の職員です。尾張地域が事業対象の生協でしたが、2010年に合併し愛知県全域が対象となりました。

 さて、東海環状自動車道ができたのは2005年3月です。インターのひとつに豊田松平ICがあります。豊田松平ICと名古屋ICは、遅くても25分ほどでしょうか。新築予定と豊田松平ICは10分もかかりません。このアクセスの良さはとても魅力です。

 私たちの生協の事業所の多くは、高速道路インターのそばにあります。幸い、高速道路通勤が認められています。
 妻も同じ生協職員です。愛知県全域が対象となり、豊田松平ICは愛知県の真ん中にあるため、「働き続けながら松平に住める」と考えています。(ただ、妻は高速道路の運転が苦手です)
[2012/10/10 06:23] | 移住計画 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ガラ紡を訪ねて・顕彰碑② 岡崎名誉市民
 顕彰碑の文字を読むと『臥雲辰致氏記念碑』と読み取れます。漢字が並び、文章内容まではよくわかりません。
121009顕彰碑②

 文字から推測するに、「臥雲辰致さんが三河のこの地でガラ紡の指導にあたったおかげで、産業として発展しました。発明家として、指導者として、その献身的な姿勢に感謝します」とでも書かれているのでしょうか。大正10年(1921年)という字がみえます。戦前、岡崎はいかに紡績業で支えられたのかが、よくわかります。

 戦後の1961年(昭和36年)には、臥雲辰致さんは岡崎名誉市民にも選ばれていると後日知りました。松平だけでなく岡崎も、臥雲辰致さんやガラ紡機への思いが深いのかわかりました。

 それにしても、この顕彰碑の写真を撮るのにスーツで岩を登る姿は恥ずかしかったです。人がいなくて、ほんと良かった(顕彰碑編・終わり)
[2012/10/09 06:10] | ガラ紡を訪ねて・顕彰碑編 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ガラ紡を訪ねて・顕彰碑編① 岡崎市郷土館
 続けば続くものです。安曇野から帰ると、すぐに仕事で岡崎市に行く機会が訪れました。
 「よし、少し時間がとれるな」と臥雲辰致さんの顕彰碑をみることに。目指すは岡崎市郷土館の敷地内です。

 その日は、8月のとても暑い猛暑日でした。いくらクールビズとはいえ、黒色のズボンはすぐ太陽熱を吸収します。汗をかきながら現地へ。場所は、岡崎市内の中心部にありました。
 堀金民俗資料館にある写真でみた顕彰碑はすぐみつかりました。
121008顕彰碑①
(続く)
[2012/10/08 05:44] | ガラ紡を訪ねて・顕彰碑編 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ガラ紡を訪ねて・安曇野編⑥ 絹と綿
 安曇野は美術館(私はちひろ美術館がとっても大好きです)・わさび農園・そば畑で知られていますが、臥雲辰致さんの生家・ガラ紡の誕生地であるとは大きな発見です。

121007安曇野 安曇野にある臥雲辰致さんの史跡が紹介されています
 
 私はこれまで、明治村・発見館で祖父のガラ紡機をみてきました。展示だけでなく、実際に糸を紡ぎ、体験もさせてくれました。しかし、堀金民俗資料館は展示のみ。見学者も少ないようです。
 
 私の勝手な信州のイメージは蚕つまり絹糸です。プロ友のスナフキンさんの家近くには、『駒ヶ根シルクミュージアム』があり、体験もできます。
 絹と綿。それぞれ地場産業としてどう発達したかにより展示の扱いも違うのですね。ガラ紡の誕生地は安曇野でも、発展したのは三河なのです。
 
 とはいえ、地元できちんと歴史を掘り起こしてくださった方がいたからこそ、私はガラ紡の原点に触れられたのです。安曇野の郷土史家の方に感謝です。

 安曇野の観光もせずに、そのまま須坂へ。仕事は無事にうまくいき、名古屋に戻ってきました。(安曇野編・終わり)
[2012/10/07 08:57] | ガラ紡を訪ねて・安曇野編 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ガラ紡を訪ねて・安曇野編⑤ 臥雲さんと岡崎
 展示物は臥雲辰致さんの業績や生き様であふれていました。臥雲さんは全国をまわり、ガラ紡機の普及につとめたようです。

 ある展示物に目がとまりました。「臥雲辰致が活躍した岡崎市滝町」とあります(岡崎は松平の隣の市です)。

121006岡崎市 

 臥雲さんは岡崎でガラ紡のために滞在したようです。岡崎市は綿産業が盛んでしたが、その陰に臥雲辰致さんの指導があったのです。
121006記念碑
  
 写真をみると、岡崎市内に臥雲辰致さんをたたえる立派な記念碑があると知りました。大正時代のことです。「今もあるのかな」と思いながら読みました。(続く)
[2012/10/06 06:54] | ガラ紡を訪ねて・安曇野編 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ガラ紡を訪ねて・安曇野編④ 祖父のガラ紡機
 部屋は、臥雲辰致さんの説明・展示物でいっぱいです。「郷土の発明家」「ガラ紡発明者」として紹介がされています。1992年頃の展示そのままにしているようです。

 もちろん、ガラ紡機も展示されていました。説明文を読むと次のように書かれています。

121005祖父のガラ紡

 くず綿を紡いで糸にする機械。和紡機ともいう。分銅があって綿筒から綿を引張り上げては綿筒がまわって糸を紡いで行く。この機械は愛知県豊田市大内町小野田慎一氏の工場で使われたもの。原理は初めのものと全く同じである。昭和の初め~昭和30年ごろ。

 祖父の名前をみつけました。これこそ、祖父と河合さんが運んできたガラ紡機です。(続く)
[2012/10/05 06:40] | ガラ紡を訪ねて・安曇野編 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ガラ紡を訪ねて・安曇野編③ 生誕150年記念特別展示
資料館の鍵をあけてもらい中へ。普段は閉めきってあるせいか、湿っぽい感じです。
さっそく入口にはガラ紡機がありました。
121004入口

「これが祖父のガラ紡機?」と眺めていると、係の方が「ガラ紡の展示は2Fにあります」。「民俗資料館」という名のとおり、1Fには縄文時代や江戸時代の展示がありました。

2Fには『臥雲辰致・生誕150年記念特別展示』という案内があります。臥雲辰致さんは1842年生まれですから、1992年に行われた展示会なのでしょう。さっそく中に入りました。
 121004特別展
[2012/10/04 06:51] | ガラ紡を訪ねて・安曇野編 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ガラ紡を訪ねて・安曇野編② 堀金歴史民俗資料館
インターネットで検索すると、目指す資料館は『堀金歴史民俗資料館』とみました。今の安曇野市にありますが、合併前は堀金村という地名です。ガラ紡を発明した臥雲辰致さんが生まれ育ったところでもあります。

 当日は、朝早く出発。豊科ICから車で15分ほどいくと、道の駅『アルプス安曇野・ほりがねの里』に到着。資料館はこの道の駅とほぼ隣接しています。旧役場(今は安曇野市役所支所)や体育館もあり、おそらく合併前は中心地だったのでしょう。資料館はすぐみつかりました。

121003堀金歴史民俗資料館

 が、「ご用の方は事務所まで」とあります。スタッフが常駐しているわけではないようです。 (続く)
[2012/10/03 06:28] | ガラ紡を訪ねて・安曇野編 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ガラ紡を訪ねて・安曇野編① 私が行きます
 7月下旬のある日。その機会は、すぐに訪れました。
 「誰かが長野へ行かないと・・・」と、仕事での会議でのこと。行き先は須坂です。 須坂は、長野県の北部。名古屋からは中央自動車道でいけます。

 「途中で安曇野によれば、ガラ紡も見にいける」。河合さんが、祖父と運んで提供したというガラ紡機。展示されている資料館へいつか見にいこうと思っていました。
 須坂での仕事は午後。午前中に時間があります。安曇野の資料館へ寄れます。絶好の機会です。

 「はい! 私、行きます」。(続く)
[2012/10/02 05:52] | ガラ紡を訪ねて・安曇野編 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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