城址とガラ紡の里山暮らし
愛知県豊田市松平。徳川家のルーツにあたる里山です。その里山に2014年から暮らしはじめた家族のどたばた。松平で祖父が営んできたガラ紡のあれこれ、松平のなかでも大給城址の季節の移ろいを紹介していきます。
福島① 福島に着きました
昨日より福島にきています。福島生協労組企画の原発事故被災地に行くためです。

3.11より、世界も日本も一人ひとりの生き方も問われるようになりました。実際に福島第一原発近くまで、身をおいて感じてきます。

私の労働組合(生協労連)の取材としてきているのですが、多くの方に知っていただきたいので、個人のブログでも配信していきます。

写真は、昨夜ホテルで読んでいた本。『あの日からもずっと、福島渡利で子育てしています』。

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[2013/08/31 06:08] | 福島にて | トラックバック(0) | コメント(0) |
綿はアオイ科
 綿の花が8月に入って次々咲きだしています。
 
 アメリカ綿は、涼しげなクリーム色です。

130830アメリカ’


 アジア綿は、真ん中がえんじ色で黄色い花です。

130830アジア’

 よく「アジア綿はオクラの花と似ている」といわれますが、綿もオクラも花は同じアオイ科です。アオイ科は他にハイビスカス・ハマボウなどがあります。南国の花が多いから、どこか涼しげな雰囲気が漂っています。
 
 実もふくらみ始めました。いわゆる「コットンボール」ですが、昔は「桃」といったそうです。

130830実’




 各地からはじく便りが届いています。私の綿も、あと少し。

[2013/08/30 06:56] | ワタづくり2013 | トラックバック(0) | コメント(0) |
第3回講座⑫ ライフデザイン
 塾生それぞれが描く3年後5年度のライフデザイン。
 
 塾生全体の年齢は、20歳代〜50歳代(最高は64歳)でまんべんないようです。

 性別では、男性は50歳代が多く「定年してからの人生」をどう描くのかという感じでしょうか。女性は20〜30歳代が多いように感じています。
 
 それぞれが話されるライフデザインは、オリジナリティがあり興味深かったです。一つひとつを紹介したいのですが、それは今後いろんな場面で紹介するでしょうから、全体に感じたことを紹介します。

  • もうすぐ定年を見通しているみなさんは、生まれ故郷に戻ったり田舎の生活でどんな生活をしたらいいのか、を考えているように感じました。ただ、「農業をするのはとても大変なことだ」という思いは共通していました。

  • 20〜40歳代は、「何がどうできるかわからないけども自然や里山、田舎を相手に何かできないか」という、エネルギーを感じました。

  • 都会で消費するだけの生活では不安を感じており、「土」に根差す生き方や、都会と田舎を結ぶ仕事をしたい、などの思いは共感できましたそのなかでも、IターンUターンを決心したり、すでに地域に根差している塾生の言葉は力強いものを感じました。
 


 私は、

  • すでに松平への移住を決めているので、娘の成長とともに地域につながりを築き、私自身も成長していくこと。

  • 代々なりわいにしていたガラ紡績が、今の時代に脚光を浴びていると知ってしまった。すでにガラ紡工場跡地は更地となったが、ガラ紡績や国産綿を必要としている方々のために力になりたい。

  • 特にガラ紡は水車を動力にして営まれたきた。ガラ紡にあった里山を築いていきたい。

 以上を発言しました。

 合宿を通して塾生の距離が縮まりましたが、まだ3回目の講座です。それなのに、ここまで一人ひとりが素性をカミングアウトし、将来の思いを話せるなんて普段の生活ではなかなかできません。

 いや、こういう場だからこそ、話ができるのかもしれません。だからこそ、ここで出会った塾生のつながりは貴重なものに思えてきます。

130618報告書 
 


 長々と綴ってきましたが、豊森第3回講座の報告はこれでおしまいです。次回は9月です。

[2013/08/29 06:35] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
第3回講座⑪ 薪
 今日は七十二候で「天地始粛」(てんちはじめてさむし)暑さがおさまる頃です。

 昨日FBでアップされる写真も、青空が多かったですね。空が高く、秋を感じた方が多かったのでしょう。

 さて、豊森第3講座2日目の午後です。

 各グループが訪問したIターンUターン者の報告をききました。それぞれユニークな訪問だったようです。

 なかでも、私が興味深かったのは、Tさん夫妻(山岡)。綿も育てているとか。薪割りも体験をしたそうで、グループで割ったヒノキの薪を持参してきていました。

 休憩時間、その薪をみせてもらいました。「豊森・薪の駅」と書いてあります。

130828薪

 その薪を眺め、なでまわして「いいですねぇ。いいですねぇ」と私は何度も口にしてしまいました。するとグループのみなさんから「どうぞ差し上げますよ」とのこと。

 わぁ! いただいちゃった!

 と思いつつも、記念の薪のような気がして…。少なくとも、この冬はとても燃やせないですねぇ。

 休憩後は、参加者全員による「自分の3年後5年後を描いてみよう」。塾生それぞれのライフデザインの紹介する時間です。(続く)


[2013/08/28 06:19] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
第3回講座⑩ ペンキ塗り
 ハーフビルドのUさん宅。外装はほぼできています。

 内装作業はなかなか大変そうですが、Uさんは来年3月の完成にむけて毎週土日に奮闘されています。
 
 今回の訪問目的の一つは、ハーフビルドのお手伝い。私たちは外壁のペンキ塗りをしました。


130827ペンキ塗り’



 Uさんのお連れ合いさんは「みんな、とっても上手。人数が多いと早いわ。とっても助かる」と、何度も何度も言葉になさいました。私たちも調子よい言葉に乗せられて、西側の外壁をすべて塗り終えました。

130827ペンキ’

 
 二日酔い気味の体には厳しかったのですが、みんなで作業すると楽しいものですね。ただ、「自分の手で家を建てる?」ときかれれば、私はしり込みをしてしまいます。

 Uさんは刈谷市内の職場へ通い続ける予定です。Uさん宅と私の移住地である松平とは、距離はあまり離れていません。薪の情報をいろいろ教えてもらうことを約束し、Uさん宅を後にしました。

 Uさん、これからもよろしくお願いします。

[2013/08/27 06:10] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
第3回講座⑨ 地域とのつながり
 昨日は、旭地区で福蔵寺ご縁市でしたね。

 塾生のKさん夫妻の出店と、Kさんのステージライブがありました。私は仕事でしたが、塾生なかまは遊びに出かけています。

 最近はフェイスブックで瞬時に様子がわかるようになりました。なので、離れていてもつながり感があります。

 さて、UさんのIターン記の続きです。

 私の関心の一つは、地域(自治区)がIターンを歓迎しているのかどうかでした。Uさんの移住地は足助地区冷田(ひえだ)。もともとUさんが家を建設している土地には旧冷田小学校がありました。

 新冷田小学校は全校生徒40人ほど。新しい木造校舎です。しかし、常に廃校と隣り合わせ。将来を見通して、いつかは介護施設になる造りにもなっているそうです。

 そんな状況のなかで、自治区として未来をどうつくるのか。

 そこで自治区では移住者を呼ぶ事業をはじめました。冷田の良さを知ってもらうウォークラリーも行われ、Uさんも参加してきました。その後、Uさんは自治区の草刈りにも加わって冷田地区の良さを知り、移住地としました。
 
 自治区の地道な積み重ねの結果、冷田小学校の跡地には5家族の移住が決まりました。

 Uさんいわく「志の高い自治区ですよ」。薪ストーブ用の薪も、すでにご近所の方が持ってきてくださったそうです。

130826薪’


 私の場合を考えてみます。

 今回一緒に住む3世帯のうち、叔父はもともと松平に7年まで50歳代半ばまで住んでいました。母はもともと松平生まれ。結婚で離れ43年ぶりに戻ります。叔父も母もUターンなので、まだつながりがあります。

 私は、知っている土地とはいえIターンです。自治区とのつながりはありません。今は叔父にいろいろ教わっています。

 私の住む地区周辺はおよそ8軒ほど。小学生はいません(ただ娘の通う九久平小学校は全校生徒230人ほどいます)。

 地域は愛知高原国定公園と市街地調整区域内にあります。私たちの場合はたまたま代々の土地がありましたが、この土地に縁のない方が家を建てるのは基本的にはできません。廃屋もみられますし、荒れた休耕田もあります。

 当面は、娘に寂しい思いをさせるのは間違いありません。

 しかし、「子どもは地域の宝」です。私は娘とともに松平の地域でつながりを築き、「遊びにいきたくなる里山」にしていこうと決意しています。まずは、自治区とのつながりづくりをしていこうと、Uさんの話をきいて改めて決意しました。

 いろいろ話をうかがったあと、今度はUさんの家づくりのお手伝いです(続く)。


[2013/08/26 07:16] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
第3回講座⑧ 葛藤
 Uさんの葛藤。

 それは、次男さん(高校1年生)との関係です。

 Uさん家族は長男にかかりきりで、次男にあまり心配りができていなかったそうです。ただいま反抗期で、建築中の家に住むかはわからないとのこと。

 親の思いで移住して家づくり。一方、子どもなりに築いた、地元のつながりや暮らしのリズムの見直しを迫ることになります。

 同じような申し訳なさは、私も娘に抱いています。

 Iターン・Uターンといっても、バラ色一色ではありません(私の場合は、Jターンというのでしょうか)。家族のあいだでも意見が異なるものです。

 お互いを認めつつ、ときには反発もしあいながら、決めた土地でどう生きていくのか。家族が一致団結していくには時間がかかる営みでもあります。

 今回、次男さんが一緒に住むかどうかの判断は、次男さんに任せるそうです。とても一言であらわせませんが、「そんなときもあったね」といえるときがくるまで、置かれている状況に誠実に向き合うのが大事なのかな、と感じました。

130825景色’ 
(写真はUさん宅からみえる風景)


 もう一つ私の関心は、地域(自治区)の受け入れについてです。(続く)

[2013/08/25 15:17] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
第3回講座⑦ 森音の会
 今回の訪問先にUさんを選んだのには理由がありました。

 今年5月の日曜日に、「森音の会」がバザーを足助で開いていると知り、立ち寄りました。

 「森音の会」とは…

 豊田市の田舎に暮らす自閉症児の親を中心に活動している会です。障がいをもっている人も、地域の人に理解され、働き続けられる場所を作りたいと思っています。築100年の古民家を拠点に、自然の中、地域で働き、住み続けられることを夢見て頑張っています。(パンフレットより)

 「森音の会」には豊森なりわい塾の卒塾生もスタッフとしてかかわっていること、森音の会では綿を育ててガラ紡で糸にする取り組みをしていたことを、バザーで知りました。

 
 プロフィールを読み「もしかしてUさんは森音の会にかかわってみえるのでは?」と関心があったのです。

ちなみに、5月のバザーの様子を地元のケーブル局が取材していました。豊田市役所HPから、「街角ポケット」6月3日付放送でみられます。今回、もう一度みているとなんとUさんが焼きそばを焼いてインタビューをうけていました。ちなみに、私の妻も娘もインタビューされています。

http://www.city.toyota.aichi.jp/toyotanow/machikado1306.html


130824森の音会
 

 

 さて、私たち6人を迎えてくださったUさん家族。毎週土日は内装作業のために豊田市中心部から通われています。
 
 

 まずは、Uさんから、足助へIターンする経過をうかがいました。ポイントを紹介すると

  • 二人の息子さんのうち、長男(現在高校3年生)が自閉症。仕事の関係でアメリカ生活をしていた。豊田に戻り、長男の生き方を支えるためにいろいろ奮闘する。(「森音の会」もそのひとつ)

  • もともとUさんは、街よりも山が好き。豊森なりわい塾を知り通うことになる。「家ぐらい自分で建てないと」という塾スタッフの言葉に影響をうけ、ご自身で今の土地に家をハーフビルドで建て始める。

  • Uさんのお連れ合いさんは移住には反対だった。交通の便の良さなどを考えると、街中の方が長男のためにもいいと思っていた。しかし、仕事で疲れ気味だったUさんが、山や豊森に通うなかで生き生きしてくる姿をみて、応援するようになった。今では「土・風・太陽のなかで生きていくことがなんと幸せか」と思うようになる。
 

 しかし、Uさんは「Iターンは良い面もあるけど、実は葛藤していることがあるんです」と話されます(続き)

[2013/08/24 07:18] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
第3回講座⑥ 人生は楽園?
 今日から二十四節気で『処暑』。暑さが少し和らぐ時期というとおり、猛暑がひと段落しそうです。雨も降るようです。

 七十二候で『綿柎開』(わたのはなしべひらく)綿の実がはじけだす時期となります。今日にあわせて、綿の様子をお届けしたかったのですが、また後日。

 さて、第3回講座2日目はIターン・Uターン者への訪問です。

 ところで、私の妻は『人生の楽園』という番組が大好きです(毎週土曜日夕方6時からテレビ朝日系列放映)。

 コンセプトは「人生には楽園が必要だ」。第2の人生を歩む方々を紹介しています。主には里山へ移り住んだ定年前後の方々の、農業や趣味を生かした暮らしを取り上げています。

 私も、たまに録画をみます。

 憧れは感じつつも、「テレビ番組だからいいことが中心だろうな。葛藤が本当はあるのだろうな。単なる憧れだけでみてはいけないな」と思っていました。なので、Iターン・Uターンされた方々の本音を知りたいと考えていました。

 今回、豊森なりわい塾から紹介いただいた6人の方々は次の通り。参考のために簡単に紹介します。

①M-easy(旭)
Tさんが大学在学中に立ち上げた会社。「日本再発進!若者よ田舎をめざそうプロジェクト」で旭地区へ。拠点であるお寺に、豊森なりわい塾二期生が仮住まいで、「千年持続学校」で自宅を建設中。

②旭・木の駅prj実行委員長(旭)
2011年に始まった「旭木の駅プロジェクト」実行委員長。小学校教諭として約20年勤務、その後は大規模農業や畜産を経験。数年前にUターン。お父さんの後を継いで家を守っている。息子さんも戻って自然薯農家として活躍されている。

③てくてく農園(旭)
農業を生業とする夫婦。豊田市の空き家バンク制度を用いて2011年にIターン。現在、自給飼料・平飼いの鶏卵と、無農薬・有機肥料の野菜・米を生産し、販売している。

④Uさん(足助)
トヨタ系企業に勤務。障がいのある息子さんが生きてゆける地盤づくりを目指し、第一期豊森なりわい塾に塾生として参加。足助に土地を購入し、ただいま自宅をハーフビルドで建築中。

⑤矢作川自給村(小原)
1970年代に「愛農食品生産組合」、次いで「あいのう流通センター」を設立された方。父の代からの養鶏も営む。その傍ら、NPO法人矢作川自給村を運営。農作業を習いたい都市住民のために、農作業のノウハウを提供し、農地の斡旋も行う。

⑥Tさん夫妻(山岡)
数年前に三重県から岐阜県恵那市にIターンし、夫婦で第二期豊森なりわい塾に参加。NPO法人夕立山森林塾で、やまおか木の駅prjや薪の駅の立ち上げに関わる傍ら、定年後の田舎暮らしをHPで発進。
 

 紹介いただいた方々、それぞれに興味がありました。そのなかで、私が訪問先に選んだのは、Uさんです。

 Uさん宅へは、私含め4人の塾生と2人のスタッフで訪問。足助の細い山道をくねくね進んていくと、Uさんが建築中の家がみえてきました。

130823家づくり’
(続く)

[2013/08/23 06:31] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(1) | コメント(0) |
第3回講座⑤ 酔っぱらった
 夕食では同じテーブルになったUさんやK夫妻と一緒に、たわいのない話で盛り上がりました。

 不健康自慢とか
 方言とか
 食べている魚が、アユかマスかイワナか、とか(結局、マスでした)

 なかでも、親近感を覚えたのはKさん夫妻です。

 Kさん夫妻は、名古屋市内から旭地区へUターン準備をされています。家づくりを進め、先日は地鎮祭をされたとのこと。年末に完成して引っ越しですから、私とまったく同時期に同じような人生の転機をむかえます。子どもも同じ就学前です。Kさん夫妻は旭地区の若者会に今から通い、どんな旭にするのか真剣に考えています。

 旭と松平。地域は違えど、同じような志をもつなかまに出会えたのは、心強いです。

 その後は談話室へ。夏なのに、なぜか薪ストーブの前に座り、集まった塾生といろいろ盛り上がりました。

130822薪ストーブ’’ 

・間伐ボランティアをされているTさん。もはやIターンの決意をされています。
・新城で生まれ暮らすNさん。女性の手筒花火師として地元で活躍中。
                                         …etc

 それぞれのお話が興味深くとっても盛り上がりました。

 ですが、久々に焼酎をロックで呑み進めて酔いが早く、話をしっかり覚えていないのが残念。

 でも「楽しい時間をみんなで過ごした」というのがとても意味あるように思えました。ユースホステルという雰囲気もあって、塾生のつながりをぐっと強めたのでした。

 翌日の第3回講座2日目は、Iターン・Uターンをされた方々の訪問です。(続く)
[2013/08/22 06:27] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
第3回講座④ 夕日
 第3回講座初日午後は、駒宮さんのレクチャーによる自己分析の時間でした。レクチャーのなかで、世代分析は興味深いものでした。

  • 戦中派      (現在83~93歳)
  • 浮浪児の世代 (73~83歳)
  • 団塊の世代   (63~73歳)
  • しらけの世代  (53~63歳)
  • バブルの世代  (43~53歳)
  • 不安な世代    (33~43歳)
  • 超不安な世代  (23~33歳)
  • 諦めの世代   (~23歳)

 年齢・出身・経歴の異なる塾生24人が集まっています。

 討論では、この区分けを利用しつつ、自分はどの世代に属しているのか、塾生一人ひとりがカミングアウトしました。ちなみに私は「不安な世代」です。

 さて、今回の講座は合宿です。

 レクチャー後は、足助にあるユースホステルへ宿泊場所を移しました。あすけ里山ユースホステルは細い道をすすんだ山の中腹にありました。廃校になった小学校を利用した、味わいにある建物でした。

130821ユース’



 夕方。ヒグラシがなき、夕日が眼下に沈むところでした。塾生みんなで眺めました。

130821夕日’


 こんな時間・空間・仲間との過ごし方を、この歳になって味わうなんて…。これから始まろうとする交流、そして一人ひとり描こうとしている将来が、明るいものであってほしいと願った瞬間でもありました。

 いよいよ夕食、そして長い夜が始まります。(続く)

[2013/08/21 06:31] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
第3回講座③ 聞き書きにつまった歴史
 Mさんは私たちの訪問を楽しみにされていました。

 お召しになっていた服は、娘さんがつくられたそうです。「こういうときに、着んといかんと思って」とかわいらしい笑顔を浮かべられました。

 Mさんの畑で採れた小豆のぜんさい、山水で冷やされたトマトを私たちにふるまっていただきました。幸せな味がしました。

130820ぜんざい’

130820小豆’

130820山水トマト’




 そして、いよいよ聞き書き作品の朗読です。Aさんが作品につけていた小見出しは
 
  • 賀茂村へ嫁入り
  • 実家からもらった大黒柱
  • 山と畑と田と百姓
  • お蚕さんを飼っとった
  • みんなで田植え
  • 慰霊祭
  • 家族に囲まれた家

 

 Aさんが朗読中、Mさんはときおり「ほうだほうだ」とうなずき、ときには目元へ手を寄せられていました。

130820朗読’

 88年間つむいできたMさんの歴史を、聞き書きによってまとめることができて、私もうれしくなりました。

 朗読後は、古いアルバムをみながらMさんの思い出話をうかがいました。

130820アルバム’


 地域には聞き書きによって残しておく歴史がたくさんあると気づかされながら、Mさん宅を後にしました。

[2013/08/20 05:45] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
第3回講座② 聞き書き作品選び
 この土日は、豊森なりわい塾の合宿でした。

 初めての方のために豊森なりわい塾を簡単に紹介すると、豊森とは「地域の中で暮らしの足元をみつめ、人と人、人と自然を結びつけるためのプロジェクト」です。1年間の講座です。
地域を知り、地域にはいる
まちとむらをつなぐしくみをつくる
現代の百姓をめざす
自然に根ざして暮らし・しごとを創る (パンフレットより)

 

 私はすでに松平へ移り住む準備を進めていますが、里山に住みための作法と、代々営んできたガラ紡績をいかした里山づくりができないか、を学ぶために参加しています。(あと、私は今の仕事をやめる予定はありません。念のため)

 さて、今回の合宿には、塾生24人スタッフ9人が参加しました。

 初日午前中は、先月班で聞き書きしたMさん宅へ。私たちの班3人の作品から代表作を選び、Mさんに朗読をして内容を確認します。
 この聞き書き編集は、夏休みの読書感想文を思い起こさせるような作業でした。

 ところで、聞き書き作品にはタイトルをつけます。このタイトルこそ、Mさんの人生をあらわすものになります。
 3人それぞれのタイトルは

  • 好きんならにゃ、しょうがない
  • どこの家にも山がある。田も畑も。ほれが財産。
  • なんもないで 百姓を好きにならんと

 同じMさんへの聞き書きでも、作品にはそれぞれの個性があらわれます。ただ、共通している思いは、Mさんの「この地で百姓として生きていかなければならない」という覚悟です。

 代表作は多数決でAさんの作品を選びました。

 Aさんはこの8月から豊田市の「おいでん・さんそんセンター」のスタッフとして働かれています。旭地区にUターンをし、農村と都市の交流の橋渡しを仕事にされます。
 そんな転機の時期に仕上げた作品だからでしょうか、味わい深いものでした。
 

 作品選出後は、Mさん宅へ。Mさんはかわいらしい服をお召しになり、私たちを出迎えてくれました


130819裏山’ (写真はMさん宅の裏山)
(続く)

[2013/08/19 06:39] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
第3回講座 ただいま合宿中
この土日は、豊森なりわい塾の第3回講座合宿です。足助のユースホテルにいます。この2日間の目的は、先月に聞き書きをしたMさんに作品を渡すこと、実際にIターンUターンされた先輩塾生の訪問、そして、塾生のみなさんとの夜な夜なの語りあいです。

足助のユースホステルは廃校になった小学校を利用してます。みんなで夕日をみるなんて、いい時間。

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詳しい報告は、また後日。
[2013/08/18 06:36] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
石徹白へ④ 大杉
 今日から七十二候で『蒙霧升降』(ふかききりまとう)。深い霧がまとわりつくようにたちこめる時期とのこと。山に登ればそんな涼しげにも感じる霧にも出会えるのでしょうが、相変わらず暑い日々です。
 

 今年のセミの鳴き声はいつもより少ないように感じるのは気のせいでしょうか。

 さて、石徹白訪問記の続きです。訪問目的に3つ目は、白山中居神社大杉をみること。

 白山は富士山・立山と並んで信仰の山として知られていますが、石徹白はその拠点地域であり白山登山の入り口にあたります。

 この地域は国立公園として指定されているだけに、白山中居神社内にある杉はとても太いです。木彫りの社殿も見事でした。

130817白山’


 さらに石徹白の大杉は、白山中居神社から狭い道を車でしばらく走ります。

 登山口に到着して、山道をしばらく歩くと大杉に。樹齢1800年というだけにとても太いものでした。

130817大杉’



 今年実現させたかった夏の石徹白訪問。今度は、地域づくりや小水力発電・水車の勉強を詳しくするために訪ねてみたいです。

[2013/08/17 06:08] | 郡上へ | トラックバック(0) | コメント(0) |
石徹白へ③ 小水力発電
 石徹白訪問の続きです。

 訪問目的の2つめは、小水力発電の見学です。石徹白では、小水力発電による自然エネルギーの地産地消が進められています。

 3月11日の原発事故以降、自然エネルギーが特に注目されるようになりました。今年の3月11日(東日大震災2年目)に、私はこの地を訪ねました。当時は雪のなかでしたが、夏の小水力発電の様子もみたいと思い今回実現しました。

 石徹白には、上掛け水車らせん型水車の2種類の小水力発電があります。

 上掛け水車は地元の農産加工所の隣にあります。水車で生み出される電力で、加工所の電気をまかなっています。訪問したときは、地元の特産であるトウモロコシの加工作業が真っ只中でした。
 

130816上掛け水車’


 らせん型小水力発電は現在ますます注目が高まっていますが、今回も奈良県ナンバーの方が小水力発電を見学されていました。


130816らせん型水車’



 水車という動力は、私には身近なものでした。というのも、私の祖父は松平を流れる滝川の水力を使って、水車によるガラ紡績を営んでいたからです。

 今、再び自然エネルギーとして注目されている水車や小水力発電。移住地で、私もいつか滝川の水力を使って何かできないかを夢みています。

[2013/08/16 05:57] | 郡上へ | トラックバック(0) | コメント(0) |
石徹白へ② 山里のなかの洋品店
 一昨日から綴っている、石徹白訪問の続きです。

 石徹白洋品店では、娘はバックを、母はエプロンを、私はパンツ(野良着)を購入しました。丁寧でシンプルで、すっかり気に入りました。

130815野良着’



 冬は大雪で囲まれ、夏といえども車でもなかなか簡単には訪ねられない石徹白。その地で洋品店を営む平野さん。「どうして、石徹白で洋品店を営もうと決意したのだろう」。私はとても気になるところでした。

 その疑問に答えてくれる文章が、石徹白洋品店HPにありました。

 http://itoshiro.org/ 

 石徹白洋品店では、有機綿(オーガニックコットン)、麻(ヘンプ・ラミ等)、絹を主に用いています。使わせてもらうそれぞれの素材は伝統的な技法によってつくられたものや、生産者がこだわり抜いて生み出したものばかりです。
その分、品質および耐久性に優れ、つかえばつかうほど味わい深くなります

 石徹白洋品店をはじめるきっかけとなったのは、私自身が悩んでいたアトピーにあります。
インナーの縫い目が肌を刺激し、赤くかぶれただれることがあり辛い思いをしてきました。
その経験に基づき、できるだけ肌に直接縫い目があたらないような縫製方法を心がけています。

 白山のふところに抱かれる標高七〇〇メートルあまりの山里で、その地域の伝統文化に根差した暮らしの中で服づくりをしていきます。この土地に伝わる野良着などの復刻にも取り組むことで、先人の知恵を学んでいます。自然が溢れ、歴史深いこの土地のあらゆる豊かさ一人でも多くの方に知っていただきたい。それと同時に、都心ではない、山里ならではのクリエーションを実現していきたいと思います。

 
130815入口’


 ガラ紡でつくられた糸は、平野さんをはじめ優しい肌のために合うと私も考えています。
 3月の雪深い石徹白でガラ紡布に出会った感激を、この夏に訪問して再び味わいました。HPの文章を読み、里山のなかで伝統を大事にされている平野さんのような方々のために、私ができることを考えようとあらためて思いました。

 私たちの車がみえなくなるまで、手を振ってくださった平野さん。また必ずお会いしましょう。


[2013/08/15 06:13] | 郡上へ | トラックバック(0) | コメント(0) |
模擬原子爆弾
 石徹白訪問記の途中ですが、今日8月14日に綴っておきたい歴史があります。

 1945年8月15日、終戦が玉音放送で流れました。その前日の8月14日愛知県春日井市豊田市模擬原子爆弾(パンプキン爆弾)が落とされました。

 模擬原爆とは、米軍の訓練用原子爆弾です。全国30都市、49発落とされています。この事実は、春日井市の高校の先生をはじめとする「春日井の戦争を記録する会」によって1991年に発見されました。

 春日井市の、現在王子製紙があるあたりは、かつて陸軍造兵廠がありました、このあたりに4発落とされ、犠牲者も出ました。その慰霊碑があります。


130814春日井’



 豊田市へは、拳母町つまりトヨタ工場が3発の攻撃をうけて大きな被害をうけました。

 8月14日という、政府がポツダム宣言を受け入れた日ですら米軍は攻撃を続けていました。それも、模擬原爆は長崎に落とされた「ファットマン」型の訓練用です。8月9日後でもなお原爆訓練がされていたのです。

 明日の終戦日前に、身近な場所で起きていた8月14日の歴史です。 二度と繰り返してはいけない歴史です。

 でも、今日の新聞でもイスラエルではロケット弾が飛んでいると報道されています。戦争のない世界を一刻も早くつくらないと。

[2013/08/14 06:24] | 戦跡 | トラックバック(0) | コメント(0) |
石徹白へ① 石徹白洋品店
 この夏の連休は、岐阜県白鳥の石徹白へ。今年3月以来です。そのときは雪のなかでした。「必ず夏には訪問しよう」と決めており、実現しました。

3月の訪問の様子
http://ogyuubito.blog.fc2.com/blog-category-28.html

 最大の目的は、「石徹白洋品店」の平野さんにお会いするため。豊森をご紹介くださり、ガラ紡つながりで、私の転機につながった方です。

 渋滞している高速道路にイライラしないようにと言い聞かせながら、東海北陸自動車道・白鳥IC下車。山道をぬけ、峠を越え、3時間半かかって無事に到着。やはり、灼熱の名古屋に比べると風は涼しく、秋の空気でした。すでに萩は盛りでした。

130813洋品店’



 平野さんは、ハイハイをし始めた息子さんと一緒に出迎えてくださいました。冬も風情がありましたが、夏の洋品店も味わいがあります。

 家づくりの進み具合、豊森での出会いなど、この半年の出来事をいろいろ話しました。まだお会いして2回目というのに…。でも、なぜか次から次へと言葉が出てきました。
 
 洋品店内では、特に妻・母・娘がときどき甲高い声をだしていました。服・小物など、決して点数が多いわけではありませんが、一つひとつを平野さんが丁寧につくっていらっしゃるのがよくわかります。

130813店内’


ガラ紡の解説も展示されていました。

130813ガラ紡’

130813ガラ紡布’

(続く)
[2013/08/13 06:35] | 郡上へ | トラックバック(0) | コメント(0) |
綿の花が咲く
 今日から、七十二候で『寒蝉鳴』(ひぐらしなく)
 
 ツクツクボウシやヒグラシをきくと「夏もいよいよい後半だ」と感じるのですが、今年はまだ聞いていません。夜も30℃を下回らないというニュースをきき、「今までこんなことはなかった」と怖くも感じます。

 さて、いよいよ綿の花が咲きだしました。

130812花’


 私がみたときは、すでに花弁は閉じて薄いピンク色になっていました。写真はアメリカ綿です。

 アメリカ綿の花は、まずはクリーム色の花弁を開かせます。咲き終わるとピンク色になります。おそらく8月10日ごろから咲き出したのでしょう。

 綿の花は、とても涼しげです。今度はクリーム色の花の写真をお届けできるようにしたいです。

[2013/08/12 05:54] | ワタづくり2013 | トラックバック(0) | コメント(0) |
豊川海軍工廠跡③ 「同級生4人が亡くなりました」
 今回の見学会にはおおよそ200人ぐらいは参加されていたでしょうか。小学生・高校生も多数参加していました。

 参加者のなかに、空襲当時に海軍工廠で働いていた方がいらっしゃいました。浜松から学徒動員で豊川へ。当時は16歳だったそうです。
  
 体験者がマイクで小学生に次のように話されていました。

 
 当時、私の真上に戦闘機が10機ほど飛んできました。大豆を紙に落とすような音で爆弾を落としました。北東の山に逃げました。同級生が4人亡くなりました。今回68年ぶりに、ここにきました。当時の面影はありません。私は戦争や学徒動員で勉強ができなかった。戦争はダメです。

 資料によれば、8月7日午前10時13分からわずか26分間に3,256発もの爆弾が落とされました。米軍機約170機による攻撃。どんなに恐ろしいことか。

 もはや当時を知る方々が少なくなってきました。だからこそ、戦跡は「平和の語り部」として貴重なものです。現在、地元の保存会が豊川市に働きかけて保存を求めており、その方向で実現しそうとのこと。

130811街灯’

 跡地では、写真のようにあちこちに当時の街燈が残っています。青い空が戦闘機で覆われる時代を二度とつくらず、今度は平和への灯をともしてもらいたいと感じた見学会でした。

[2013/08/11 06:21] | 戦跡 | トラックバック(0) | コメント(0) |
豊川海軍工廠跡② 2700人が犠牲に
 トンネル先にあったのは、弾の保管場所でした。

130810跡’

 爆発しても被害が広がらないように土で壁がつくられていました。建物自体は壁で頑丈ですが、屋根は簡素で、爆発しても上へ抜けるようになっています。

 跡地一帯は名古屋大学の太陽地球環境研究所となっています。大きな敷地で自然が多く広がり、当時の様子がそのまま多く残されています。

130810全景’


 そのひとつが防空壕あとです。写真ではただのくぼみのようにみえますが、すでに落ち葉で埋まってしまっているとのこと。このような跡があちこちにあります。

130810防空壕’


 豊川海軍工廠は東京ドーム70個もの広さで、現在の市役所・企業団地・自衛隊のあたりまで工場がありました。当時は東洋一の規模だといわれていました。全国や朝鮮から約6万人が動員され、海軍のほとんどの機銃・弾薬・兵器をつくっていました。

 8月7日朝に米軍機10機ほどが飛来して攻撃をしました。幼児もふくめると約2700人の方々がなくなっています。(続く)

[2013/08/10 06:44] | 戦跡 | トラックバック(0) | コメント(0) |
豊川海軍工廠跡① トンネルの先に
 8月9日ですね。長崎平和の日です。本日は私たちのなかまが長崎に多くいます。

 私の妻の故郷は長崎です。といっても、長崎市内ではなく島原半島ではありますが。 結婚して長崎はとても身近になりましたが、長崎市内にはいけていません。 いつか必ず8月9日に長崎へ行こうと決めています。

 ところで、大給(おぎゅう)城址のふもとに住む私に、「もしかしてお城好き?」と尋ねる方が増えました。100名城めぐりも流行していますからね。

 私は100名城めぐりより興味があるのは「戦跡」です。それも、太平洋戦争時代のものです。

 なので、これからブログでも私の訪ねた「戦跡」を紹介していきますね。
 
 まずは「豊川海軍工廠跡」です。1945年8月6日の広島の翌日、8月7日に愛知県豊川市にあった豊川海軍工廠が空襲を受けました。つい先日、空襲日の8月7日に工廠跡見学会があり参加しました。

 日頃は入れない場所です。このトンネルの先にあるものは…

’130809トンネル


(続く)

[2013/08/09 06:23] | 戦跡 | トラックバック(1) | コメント(0) |
続『おじいさんの戦争は終わったか』
 二十四節気や七十二候の日には冒頭に紹介していました。

 ところが、昨日の「立秋」「涼風至」(すずかぜいたる)はすっかり忘れてしまいました。それぐらい昨日の暑さはつらかったですね。でも、だんだん夜が長くなっているのを感じています。

 さて、『おじいさんの戦争は終わったか』の続きです。

 私の祖父は、1945年5月25日に29歳で南京で戦死しています。父はじめ子どもを3人残して。
 
 私は祖母から祖父についてきく機会を逃しました。なので、祖父の人となりを知る由もありません。ただ、祖母を通して、父はじめ3人の子供を育て上げる苦労は感じていました。

 それが、この本で「生きている祖父」に触れました。

 この不思議な感覚をどう説明したらいいのか…。自分の大事なルーツとなる祖父に本で会うという「魂に触れる」感覚を、うまく表現できないのがもどかしいです。
 
 ただ、私が「戦争」を憎み「平和」を希求する理由を、ルーツに「戦争」があるからなのだと自覚しました。



 ここのところ、父や祖父について綴りましたが、何度か気持ちが高ぶりました。そのたびに落ち着かせるために散歩に出ました。

 ルーツに向き合うとは、心に生き方を刻む営みなのだ、とわかりました。

  • 自分が生き方を考えるときに過去を振り返る営みは欠かせないこと。
  • 歴史の流れのなかに、私が今いること。
  • この瞬間も将来につながること。
  • そんな将来のために、今を記録し続けること。
 
 広島・長崎・終戦の日とお盆、そして父の古希が重なる8月を、今年は特別な思いで迎えています。

[2013/08/08 06:19] | 本・映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |
『おじいさんの戦争は終わったか』
 8月という、戦争と平和に向き合う季節です。また、私のルーツをたどる機会が続いています。今度は私の父方の祖父について綴ります。

 20年ほど前、ある一冊の本をいただきました。
 『おじいさんの戦争は終わったか』(近藤泰年著 農文協)です。著者は、私の祖母の弟の息子にあたります。


130807おじいさんの戦争は終わったか 


 この本は「父が聞き、孫に伝える戦争体験」という内容です。

 著者の父(ここでは『おじいさん』とします。つまり祖母の弟)の戦争体験とは

  • 1941年6月徴兵
  • 1942年4月満州へ
  • 1945年1月に広東へ
  • 1945年10月中国のある島に移される。
  • 1946年3月頃、河南の戦犯収容所にうつされる。その後帰国。しかし、戦犯容疑を恐れて逃げ出す日々…
 

 著書では、

  • 『おじいさん』が中国人をスパイ容疑で12人を拷問したり銃殺したりする様子。
  • 戦後は中国で戦犯容疑にかかって収容所に送られ、なかま5人が銃殺される様子。
  • 中国から帰国しても逃亡の日々を送っていたこと…etc 

  いま読み直してもつらい。

  この『おじいさん』の姉の夫が、私の祖父にあたります。『おじいさん』が徴兵される場面で、祖父が登場しています。
 

  『おじいさん』の入隊前日に宴会があり、「戦地から生きて帰ってこなくちゃならんから、これ、縁起ものだでね」と四〇センチぐらいのコイを、祖父が宴会にきていた40人全員にもたせたそうです。

 「戻ってコイ」という思いをこめて。

 この本では、祖父についての記述がもう1カ所あります。

 『おじいさん』にコイおくった祖父の戦死を、『おじいさん』が戻って知ったこと。 『おじいさん』は「俺は、生きて帰ってきた…」と苦しんでいたこと。(続く)


[2013/08/07 06:19] | 本・映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ブログ開始1年
 今日は広島原爆の日です。この朝に沖縄で米軍ヘリ墜落の報をきき、怒りの朝を迎えています。

 私のなかまも今日は広島を多く訪れています。戦争や平和への思いについて綴る機会がまもなくあるので、そのときに。

 さて、今日はブログをはじめてちょうど1年です。毎日綴り、本日366号。

 1年を迎えるにあたって、愛知県犬山市の明治村に出かけました。何しろ、ブログを決意させた場所ですから。

 というのも、明治村に展示されているガラ紡績機が近代産業遺産として認定されていたのです。このガラ紡機は私の曾祖父のものです。昨年、30数年ぶりに見学して、その事実に驚きました。


130806ガラ紡’


 さらに、ガラ紡績が今の時代だからこその見直しがされていると知り、いてもたってもいられなくなった、という衝撃をうけました。

 その衝撃から一年たちました。この間に出会ったガラ紡と松平と里山つながりに感謝しつつ、これからもブログをどうぞよろしくお願いします。

[2013/08/06 06:05] | 節目に | トラックバック(1) | コメント(0) |
古希
 ここのところ「自分のルーツ」について向き合う機会が続いています。

 もう一つのルーツ、父のこと。今日は父の誕生日。生きていれば70歳。古希の祝いです。

 父は、わずか48歳の命でした。

 私としては、今でも納得できない父の最期です。当時『日本を休もう』とキャンペーンをする企業「戦士」として休日も働き、単身赴任もしてきた上での最期でしたから(父自身は「働くのが趣味だ」と言い張っていましたが)。

 私が高校生の頃でしょうか、父が「労働組合なんてやっている奴は、ゴキブリだ」と厳しくなじった記憶があります。そんな汚い言葉を父はしたことがなかっただけに驚きました。
 父がどうしてそんな言葉を口にしたのか、歴史を振り返って合点がいったのはずっと後のこと。当時、その会社は政府をまきこんでの労働組合差別を行っていたのです。

 どんな立派な生き方をしてきた方でも、最期が人として尊厳あるものでなければ「ほんとうにいい人生であった」といえないと私は思っています。「死にざま」にこそ、「生きざま」があらわれます。
 遺されたものにとって最期に悔恨が残るのはとてもつらい。だから、 すべてのひとが尊厳ある最期となるようにするのが、遺されたものの使命だと感じるようになりました。

 父の最期に悔しさが残るからこそ、私は生協で働き、労働組合の役員をしているのだな、と振り返って気づきました。父が生きていたら、今の私にどんな顔をするのでしょうか。
 
 このような内容をブログで綴るのもどうかとは思いましたが、私からの父への古希の言葉として受け止めてください。

 いろいろありましたが、父の墓も松平へ移しました。来週はお盆ですね。

[2013/08/05 05:41] | 節目に | トラックバック(0) | コメント(0) |
♪「夏祭りには 帰ってこいよ」
 夏祭シーズンまっただなか。

 やっぱ、夏は花火ですよ。

 昨日は、娘とみよし市の花火をみにいきました。去年一昨年と抱っこをせがんでいた娘が、今年はきちんと座って「わぁ〜」と声をあげたり、拍手をしたり。

 「成長したなぁ」と感慨深くなっていると、娘から突然の質問

 「ねぇ、とっと。なんで、花火には赤・黄・青・緑って、いろんな色があるの?」

 …今度NHKラジオの『夏休み 子ども科学電話相談』に電話してもらおうかしら。(娘はこの番組が大好きで、私はよく真似をさせられます)
 
 夏になると、無性に聴きたくなるのは渡辺美里さんの曲『夏が来た!』

♪「夏祭りには 帰ってこいよ」
 暑中見舞いの 絵はがきには
 たった二行の きみの言葉
 私の心を決めさせた

 
 そんな『夏が来た!』のように、私のFBにも各地から夏祭の招待をいただいています。
 
松平では8月11日(日)に巴川金魚花火
http://blog.matudaira-sato.com/?day=20130710

130803巴川金魚祭


 足助の夏祭はたんころりん。8月3日〜15日で、14日には花火大会。
http://asuke.info/

130804足助夏祭

そして豊森なりわい塾でお世話になっているでは 8月15日に花火大会です。
http://www.kankou-asahi.toyota.aichi.jp/

130804旭夏祭

 すべての夏祭にいけないのが残念です。

 ですが、『夏が来た!』の歌詞のように、みなさんからのおさそいの言葉、それがたとえ短い言葉でも、心揺れるのです。

 これは、とっても幸せなこと。里山の夏祭には、たとえそこに住んでいなくても、地元の「つながり」をいっぱい感じますから。
 
 ちなみに、夏祭は参加するよりも運営する方が好き。屋台とか、ね。

[2013/08/04 06:38] | 季節2013 | トラックバック(0) | コメント(0) |
『おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん』
 娘のためだけでなく、私のためにも購入した絵本。 

 『おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん』(長谷川義史作 BL出版)
 
130803おじいちゃんの 

 

 5歳の男の子の「ねぇ、おじいちゃん。おじいちゃんのおじいちゃんは、どんなひと?」という素朴な質問から、時がどんどんさかのぼるというお話。
 
 
 そして、「ぼくのおじーーーいちゃんは、おさるさん…なの? ぼくは…・だれのおじいちゃんになるのかな」という結びです。

 長谷川義史さんの絵本は、絵はもちろん、視点がユニークで大好きなのですが、娘に読みきかせていてあらためて考えさせられました。

 私のおじいちゃんによれば
  
  • 私のおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんが松平でガラ紡績をはじめました。
  • 私のおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんの……おじいちゃんは、大給松平藩に仕えていました(つまり、1500年代からの歴史がある)
 
 
 そして、絵本を読みながら考えてしまうのです。

  • おじいちゃんの孫が、松平へ戻りガラ坊のことを考えているという因果。
  • 代々のおじいちゃんとおばあちゃんがあってこそ、大給城のふもとに住むという感謝。
  • ずっと嫌で避けていた私自身のルーツを受け入れるという転機。
  • 娘をとおして「私はどんなおじいちゃんになるのかな、どんな里山にするのかな」という未来像の楽しみ
 

 もうすぐブログをはじめて1年です。今日は、明治村にある、ひいおじいちゃんのガラ紡をみにいく計画です。

[2013/08/03 06:47] | 本・映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |
オミナエシ
 今日から、七十二候で『大雨時行』(たいうときどきにふる)。文字通り、大雨が全国で降っています。
 それにしても、最近は「降りすぎだろう」という大雨で、とても風情を味わうどころではないですね。

 さて、松平郷を散歩していると、黄色の花が咲きだしていました。オミナエシです。

’130802オミナエシ


 すでにハギも咲き出していましたが、オミナエシもハギも、秋の七草です。夏は盛りでも、季節は確実に秋へ向かっています。

 すると、天下茶屋さんからも、メールでオミナエシの花だよりが届いていました。
 以下、花だよりからの引用です。
 
 「おみな」は「女」という意味があり、「えし」は古語の「へし(圧)」で、圧倒するほどの美しい女性の意味がこの花にはあるそうです。花言葉は、約束を守る。
 

 オミナエシは漢字で「女郎花」と書きますが、「男郎花」(オトコエシ)という白い花もあるそうです。

[2013/08/02 06:39] | 季節2013 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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