城址とガラ紡の里山暮らし
愛知県豊田市松平。徳川家のルーツにあたる里山です。その里山に2014年から暮らしはじめた家族のどたばた。松平で祖父が営んできたガラ紡のあれこれ、松平のなかでも大給城址の季節の移ろいを紹介していきます。
豊森第4回講座⑧ 3時間のディスカッション
 2日目午後は、「祭りと祈り」のディスカッション。参加者・スタッフ・インターンのみなさん30数名が円になりました。

 ディスカッションの時間は3時間の予定。

 「こんな大人数で3時間もディスカッションができるのか?」と開始当初は思っていましたが…

 ディスカッションでは、まずは一人ひとり感じたことを出し合いました。その後は相互に質問や意見を発言。
 
 私の琴線に触れた言葉をいろいろ組み合わせて、私なりにディスカッションをまとめてみました。

  • 現状の祭が、なくなるのは時代の趨勢か。かつての「自然と一体と感謝」の祭りと、機械や農薬による農業スタイル、車・携帯電話はじめ科学技術に囲まれた身近な生活では、自然と切り離されているのが実態。「自然のめぐみに感謝」といわれてもピンとこないことがある。


  • 「いただきます」「ごうちそうさま」という感謝の言葉は祈りは近い。「一日何事もありませんように」「無事に学校や保育園から帰ってきますように」という気持ちも祈りのようなもの。震災があってから「祈る」ような気持ちは増えた。祈りは近くにある。特別なものではない。



  • 「祭り」と「お祭り」(イベント)は違う。現状では、「お祭り」で見た目の面白さや華やかさに目が行きがち。地域のつながりも、「祭り」のときとは異なっている、。



  • 一方で、都会では地域のつながりづくりが見直されており、祭りの復活の動きがある。旭地区でも若者を中心にした祭りが始まっている。どのようにして「新しい形」をつくっていくのが、若い世代中心に模索が始まっている。

 

 さて、私は次のような趣旨の発言をしました。

  • 「祈り」というと、どうしてもスピリチュアルに結びつくイメージがある。実は、お賽銭という行為も抵抗を感じており、今日の講座はできれば避けたい内容だった。ただし、祭りや祈りの発生起源や果たしてきた役割を学び勉強になった。



  • 祭りや祈りには「土地と血縁のしがらみ」のイメージがある。映画や地元の方々の発言にあったように「子どもはこうでなければならない」「参加しないと、ど叱るものだ」という感覚には抵抗がある。かといって、イベントのような祭りは「消費的」で、なじめないところもある。



  • それでも、祭りのお囃子や太鼓の音を聞くとワクワクするし心が躍る。祭りで集うことで、人と人とのつながりを感じるのは好き。お地蔵さんにはいとおしさを感じている。だから、本当は祭りが好きなのだし、祈り(感謝・いとおしさ)の気持ちも日常にはあるのだろう。



  • 今のような祭りの維持では難しいかもしれない。でも、地域や部落をどうつくるのかを踏まえつつ、きっと祭りも新しく再生されてくると思う。


 そんなディスカッションを、途中休憩もなく3時間も行いました。当初「こんな大人数でできるのか?」と心配していましたが、なかなか深い議論ができました。

 2日間にわたる講座が終了。今回は脳がかなり疲れてしまいました。
 
 

 
 初日には講座会場の周りにあった稲が、2日目の講義終了後にはすっかり刈られていました。

130930稲刈り後

 帰り道、旭地区のあちこちで野焼きが行われていました。

 煙が鼻の奥でツーンとして、郷愁を感じました。

[2013/09/30 06:05] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
豊森第4回講座⑦ イヨマンテ
 もうひとつの映画『イヨマンテ 熊おくり〜北海道平取町二風谷〜』

 上映前から「動物愛護団体から抗議をうけた」とはきいていましたが…

130929映像一部



 イヨマンテは、アイヌ民族の祭です。イ(それを)オマンテ(返す)というアイヌ語で、熊の魂を神の国へ送り返すという意味です。

 冒頭、手塩にかけられた子熊の様子が映し出されます。可愛らしい子熊です。

 餌を与える女性の表情が、これから始まる祭を思い少し悲しげにもみえます。

 そして、祭りの日。

 祭壇前で子熊が矢で射られます。
 
 何本も。何人からも。

 子熊はうめき声をあげます。苦しんでいる時間がとても長く続く感じます。

 そして最期をむかえます。

 熊が解体される様子も映像は詳しく伝えます。子熊の頭をかかしのようにします。3日間にわたる祭りです。

 その映像は、動物を飼っている方々にはつらいかもしれません。

 映画の解説文を以下引用します。

  •  アイヌ民族にとって、熊は重要な狩猟対象であるとともに神であり、親しみと畏敬の対象であった。熊は神の国から、アイヌつまり人間の世界へ来てくれる。そのお礼に人間界のお土産を持たせ、また来てくださいと送り返す。


  •  イヨマンテは、アイヌの自然観、生命観が凝縮したまつりである。生命体である人間と他の生命体である動物との対峙。そこには人間の信仰、文化の原初への啓示がある。

 映像撮影年は1977年。アイヌ民族でも祭の継承が、この当時から課題となっています。映像では、アイヌの若者が祭りを継承するために、アイヌ語から学んで準備している様子が記録されていました

 よくよく考えれば、普段食べている牛・豚・鶏なども同じように解体をされて、私たちは食しています。今の生活で、動物の解体は切り離され(むしろベールにつつまれて)います。

 イヨマンテの根源的な意味は、私たちの日常にも大いにかかわっていることに気づきます。

 さて、伊熊神社への訪問、地元の方へのインタビュー、映画2本の上映後、2日目午後には塾生でディスカッションが始まります。(続く)。


[2013/09/29 06:35] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
豊森第4回講座⑥ 下園の十五夜行事
 今日から、七十二候で「蟄虫坏戸」(むしかくれてとをふさぐ)。虫だけでなく私も今朝は窓をしめました。肌寒い日となりましたね。

 豊森第4回講座報告の続きです。

 講座では2本の映画をみました。

  •  『下園の十五夜行事〜鹿児島県枕崎市下園〜』
  •  『イヨマンテ 熊おくり〜北海道平取町二風谷〜』
 

 どちらも「民族文学研究所」制作で日本の祭りの記録です。

 まず『下園(しもぞん)の十五夜行事』について。

 鹿児島県枕崎市下園で行われる十五夜行事の記録です。十五夜に畑作物の収穫を感謝するのですが、これがとてもユニークです。

 前日に、茅で笠をつくります。子どもたちが笠を被って山から下りて部落を歩きます。子どもは神と考えられており、神が山から下っている姿にみたてています。

 大人たちは、茅で綱をつくります。部落で綱引きを行うのです。

 さらには子ども同士で相撲をとります。

 巨大な綱による綱引きで「大地」を打つ。相撲で「大地」にシコを踏む。どちらも「大地」へ深い思いがあり、豊作をもたらす感謝の念があるのですね

 おりしも、9月19日が十五夜の満月。映画鑑賞日が9月21日。豊森スタッフが、ススキと月見団子を飾っていました。

130928ススキと団子


 枕崎市観光協会のブログによれば、この十五夜行事は今年も枕崎市で行われていました。

http://makutabi.jp/staffblog/2013/09/20/%E5%8D%81%E4%BA%94%E5%A4%9C/

 十五夜行事の映像はとてもユーモラスでした。ところが、もう一つの映像『イヨマンテ』の祭りは、なかなか衝撃的でした。(続く)

[2013/09/28 06:09] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
豊森第4回講座⑤ 部落の思い
 初日の午後は、3部落の方々から祭りの様子についてうかがいました。

130927インタビュー


 まずは1月から12月を一覧表にし、部落でどんな祭りがあるのかインタビューしました。同じ旭地区でも部落が違うと内容が異なります。

(ちなみに事務局スタッフのAさんは、祭名を記入する際に漢字テストのような試練を受けていました)

130927祭一覧


 驚くのは、農業の繁忙期である5月9月を除き、毎月祭りがあるのです。私は、せいぜい秋の実りの感謝祭ぐらいだと思っていました。
 
 一覧表作成後、さらにインタビューをすすめました。

 
 主な内容は

  • 祭りはたいてい日にちが決まっていた。(6月30日・10月12日・11月27日など)。トヨタ自動車関連に働くようになってからは、日にちの通りにはいかなくなった。

  • 祭りのときが、唯一農作業が休みの日だった。

  • 昔は、祭りに参加しないと叱られたものだ。今は、親ですら遠慮して子どもに参加するようにいえない。若い人が祭りに参加しない。

  • 女性は祭りのたびに料理をつくって大変だった。今は、折詰を頼んでいる。

  • (なぜ祭りを続けるのか、の問いに対して)やめると、災いがあったときに祭りをやめたことが理由とされるから。今は若者が外に出ていってしまい、子どもがいない、祭りそのものが維持できなくなる。10年後には、なくなる祭りも出てくる。
 


 インタビューの後半には、「話をきいてほしい」というぐらい熱を帯びてきました。というのも、祭りの将来は過疎の問題と密接に結びついているからです。

 「どうにかしたい」という思いと、解決策が見当たらないというあきらめのような気持ち。両方が織り交じっていました。(続く)

[2013/09/27 05:55] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(2) |
豊森第4回講座④ 万の神々
 伊熊神社内には、お札などに「白山」という言葉をみました。白山神社のことです。


130926お札

 私はみませんでしたが、「伊勢」「秋葉」「出雲」などの言葉もあったようです。

 ご神体は大きな岩とのこと。

 そして、敷地にはお寺…。

 私が「なぜ神社に寺?」と疑問に思ったのと同様、塾生のなかまも「いろいろな神が祭られている。何でもありだな」という感想をもっていたようです。

 2日目に駒宮さんから講義をうけて合点がいったのですが、神社という形をしていますが、神も仏も古道もある、あらゆる宗教や神々が祭られているとのこと(宗教のデパートと表現していました)。決して、伊熊神社が珍しいわけではなく、部落にある神社の特徴なのだそうです。

 日本の宗教は、キリスト・イスラムのような「一神教」ではなく、「あらゆる神の集合体である多神教」というのが特徴であり、伊熊神社でもそれが現れています。

 そういえば、私が幼いころに遊んだ神社も隣はお寺でした。
 
 私自身は、熱烈に信じている宗教はありませんし、日本人の3分の2は無宗教とのこと。それに政治が宗教と結びつく問題点もあると思います。

 しかし、里山にあるお地蔵さんにはいとおしさを感じますし、風神さん・水神さん・雷神さんなどの話は面白いと思っています。 母は、台所・トイレ・玄関・家の四隅を神がいるとしてお餅を備えることがあります。

 なので、「万の神」=「自然」「森羅万象」ととらえれば、昔から神社の存在する意味がわかります。「祈る」という行為も、「自然=万の神」をコントロールができないという畏怖の感情から発していると思えば、なんとなく理解ができてきます。

 さて、私たちは神社を後にして講座会場に戻りました。地元の方々に「祭りと地域の暮らし」について、さらに話をうかがいました。(続く)

[2013/09/26 06:19] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
豊森第4回講座③ 見事な欄間
 伊熊神社で地元の方々と合流しました。神社と地元のつながりについて、解説していただきました。

130925解説

 神社では、春の祈念祭(2月17日)、例大祭(10月12日)、秋の祈年祭(11月17日)が行われます。さらには毎月27日には月並(月嘗?)祭もあります。正月も大みそかもあります。

 伊熊神社は、部落にとって祭の大事な拠点なのです。建立されて750年以上はたつそうですから、鎌倉時代からあるのですね。

 ところで、伊熊神社に向かって右に木造の建物があります。これは寺なのだそうです。

130925神社と寺


 「神社の敷地に、お寺?」と疑問に思いましたが、めったに鍵を開けないそうで今回ご好意で建物内をみせていただきました。

 なんと目に飛び込んできたのは、見事な手彫りの欄間(らんま)です。


130925欄間

 キジが舞っている姿に見とれてしまいました。


130925きじ

 地元の方が幼いころから寺はあるそうですから、その頃からこんな見事な技があることに驚きです。(続く)

[2013/09/25 05:53] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
豊森第4回講座② イベントの「祭」ではない
 第4回講座初日は、まずレクチャーをうけました。澁澤寿一さんを講師に「地域の祭りと祈りを考える」。祭りや祈りの基本的な意味合いを学びます。

 「祭り」といえば、今では「イベント」「屋台」など「お祭り」を思い浮かべがちです。ですが、今回の「祭り」は、神社を中心にした部落単位のものです。

 イメージとして、トヨタ自動車元町工場の稼働(1960年)前、伊勢湾台風(1959年)前の、高度経済成長時代前の祭りです。

 この時代の人々は、ほとんど百姓として生きています。

 求められるのは、

田んぼ一枚一枚の色の違い

風のわずかな向きの違い

石の置き方による水の流れの違い

昨日と今日の空気の違い

 …自然と一体となる、研ぎ澄まされた感度です。

 と同時に、「自然をコントロールできない」という畏怖の念もあります。なので、自然=山神に無事に穀物ができるように「祈り」ます

 農薬や機械で農を営む前のことです。

 部落単位で農を営むわけですが、部落での人と人との結びつきを確認する場としての「祭り」があり、唯一休めるときでもあったのですね。

 「祭」「祈り」の基本概念を学んだ後に、会場近くにある地元の伊熊神社へ。神社はちょっとした山の上にあります。

 天気も良く、塾生みんなで山道をハイキング気分で登りました。

130924神社へ

 気持ちよかったぁ〜。(続く)

[2013/09/24 05:58] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
豊森第4回講座① 祈り?
 今日は秋分ですね。

 七十二候では「雷乃収声」(かみなりこえをおさむ)。雷が鳴らなくなる時期となります。今年の夏は、雷がよく鳴りました。娘は雷が怖いようです。光るとおへそを真剣に隠していましたが、もうその心配もなくなりました。

 さて、この土・日曜日は豊森なりわい塾第4回講座でした。

 テーマが、「先祖や神々への祈り・祭りが、地域のくらしにどのように反映されているかを学び、改めて現代のおける日常の暮らしを考える」

 初めこのテーマをきいたとき、祭はなんとなくイメージはできました。

 しかし、「祈り」については「???」。

 というより、イメージとして、どうしても宗教やスピリチュアルなどが思い浮かび、胡散臭さを感じました。

 なにせ、神社でお賽銭をあげて手を合わせるのも、心のどこかで抵抗があるぐらいですから。

 そんな少し心にひっかかりを覚えながら講座会場へ。

 会場まわりの田んぼは実りの時期で、稲刈りが行われていました。あちこちで野焼きも行われて、彼岸花も咲き「里の秋」を迎えていました。

130923田んぼ 

  
 しばらく、第4回講座の内容について綴ります。(続く)

[2013/09/23 05:45] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
台風で
 先日の月曜日に上陸した台風18号。「棉は大丈夫だろうか」と気をもんでいました。

 収穫時期でもあり、すぐにでも松平へ様子をみにいきたかったのですが、なかなか時間がとれませんでした。

 昨日やっと訪ねました。「もしかして、コットンボールがはじけているかな」と期待もふくらませていたのですが…

 なんと4本とも、棉が倒れていました。

130922台風被害 


 あぁ〜

 コットンボールは大きくなっていたのに、枝が折れて収穫の見込みのないものもありました。

 「せっかくここまで育てたのに…」とくやしくてたまりません。収穫前に被害をうけた農家の気持ちを、今回少しだけ味わいました。


 建設中の木くずを支柱に、ラーメンテープをつかって棉を起こしました。

130922補強②


 一本一本の棉を起こしていると、一番下にあるアジア綿から白いものがみえました。


 なんと、2つのコットンボールがはじけて綿ができていました。

130922アジア綿

 アジア綿の育ちは弱々しかったので、あまり期待していませんでした。ですが、はじけてくれていました。

 とても、いとおしくなりました。

 あとは、残った3本のアメリカ綿です。どうかどうか、はじけてくれますように。祈る気持ちです。

[2013/09/22 05:14] | ワタづくり2013 | トラックバック(0) | コメント(4) |
引っ越し手続き
 引っ越し準備が始まりました。

 といっても、我が家の本格的な引っ越しは3月です。

 始まったのは母家族です。12月の引っ越しにむけ、まずは見積もりを始めました。

 ちなみに、生協(コープあいち)で引っ越しを依頼すると、生協組合員は通常価格より10%引き・4社の相見積もりが可能です。

130921引っ越し



 生協に依頼すると、すぐに業者から見積もり日程相談の連絡がありました。

 母の、選定にあたっての第一希望は「仏壇を丁寧に運んでくれる業者」でした。よく説明をきき、業者の選定は完了しました。

 次は、通信環境の整備で私が担当です。

 独自にするのか、豊田にあるケーブルテレビ局「ひまわりネットワーク」に加入するのか、資料を取り寄せて研究しています。

130921ひまわり 

[2013/09/21 06:35] | 移住計画 | トラックバック(0) | コメント(2) |
新横浜にいます
昨日より出張で新横浜にいます。生協労連大会開催中です。

私は取材任務があり、カメラを持って会場をうろうろ。昨夜の夕食交流会ではバンドで会場が盛り上がりました。全国のなかまはホントに芸達者です。

さて、たくさん撮った写真からの選定作業が大変です。今朝も作業をしていますが、つくづく自分の腕のなさを痛感してます。

20130920_061516.jpg
20130920_061357.jpg


今日が撮影の本番。全国のなかまの奮闘ぶりがカメラから伝わるように。


そして、福島の浜通で震度5の地震があったと知り、何ごともありませんように。
[2013/09/20 06:31] | 節目に | トラックバック(0) | コメント(0) |
メヒシバ遊び
 娘と散歩へ。メヒシバがたくさん生えていました。


 小学生のときの遊びを思い出しました。

 メヒシバの穂先を結んで石を包み、ぶつけあいます。どちらの石が早く落ちるか、もしくは穂先がちぎれるかを競います。

130919メヒシバ①


 そんな単純な遊びを、小学校からの帰り道にしたものです。

 久しぶりにつくり、娘にあげました。娘は「石の小包だ」と喜んでいました。

130919メヒシバ②

 これからも草遊びを娘と楽しみたいです。

[2013/09/19 06:22] | 遊び | トラックバック(0) | コメント(0) |
今日もいい天気
 福島訪問を綴り、いくつか反響もいただきました。そこで、今年発行されたマンガを紹介します。

 山本おさむ著『今日もいい天気』(双葉社)です。

 山本おさむさんの代表作といえば、体の不自由な障がい者の作業所づくりを描いた『どんぐりの家』や、ろう学校の生徒が甲子園をめざす『遥かなる甲子園』です。私も心ふるわせて読んだものです。
 
 その山本おさむさんは、福島県天栄村に田舎暮らしをされています。(作品では福里村と紹介しています)

 このマンガは「田舎暮らし編」「原発事故編」の2冊あります。

 まずは「田舎暮らし編」の前書きを紹介します。

毎日毎日部屋に閉じこもって
1日15時間も漫画を描いて
それを25年間…。
壊れていきそうな自分を救うため
山本先生は決心した!
レッツ田舎ライフ‼ イン福島!!!
美味しい空気、豊かなる山川草木、あたたかい人々…
でも、苦労もいっぱい
ユーモアたっぷり・切なさちょっぴりの
コミック・エッセイ!!

130918今日もいい天気①

 山本さんが田舎暮らしにいたる経過や、面白いおかしいエピソードが満載です。

 「原発事故」編は面白さから一転します。前書きを紹介します。

 埼玉で執筆、福島でリフレッシュ。
 理想の漫画家ライフのはずだった山本先生…。
 2011年3月11日、穏やかな田舎暮らしは突如破られた!!
 東日本大震災、そして福島第一原発事故。
 山本家の避難、帰還、怒り、狼狽、絆…。
 緻密な筆致の中に満腔の怒りを込めて描く
 「今日もいい天気 原発事故編」!

130918今日もいい天気②

 前半は、山本さん自身の避難・仮住まい・除染の様子が丁寧に描かれています。当事者だからこそのエピソードが満載ですし、想いがこもっています。
 
 後半は2つのエピソードが紹介されています。

 一つは天栄村の米農家による、「放射能ゼロ」の米づくりです(これは映画にもなります)。

 もう一つは大熊町(福島第一原発のある自治体)の強制避難地域に、住民と一緒に足をふみいれた様子。ここで描かれた大熊町の様子は、私が浪江町でみた光景そのものでした。

 

 先日のブログで、「福島県民の当事者の想いに、丁寧に耳を傾けることが大事」と書きました。 とはいえ、福島県へすぐに足を運ぶのは難しい方も多いと思います。

 このマンガでは、福島のリアルな状況が描かれています。おすすめします。

[2013/09/18 05:50] | 本・映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |
クリ
 今日から七十二候で「玄鳥去」(つばめさる)。つばめが南へさる時期ですが、台風一過の天気が続きそうです。

 昨日の台風は、尋常ではない被害をもたらしました。

 京都・嵐山で桂川が氾濫するニュースをみました。学生時代に過ごした嵐山の、無残な姿に心痛みます。

 被害にあわれたみなさんに心よりお見舞い申し上げます。


 さて、クリをいただきました。

130917クリ




 

 ゆでて、さっそくいただきました。秋の味覚を味わいました。

130917むきグリ


 クリには思い入れがあります。

 松平の、ガラ紡工場の裏山にクリの木がありました。

 私が幼いころ、毎年この時期に祖母がクリ入り赤飯をこしらえてくれました。祖母が亡くなってからは、叔父が「今年もなったよ」と連絡があり、収穫をしにいったものです。叔父にとって、クリは自慢だったのでしょう。

 ところが、ガラ紡工場も自宅も取り壊し、叔父が松平を去った翌年から実がならなくなりました。とうとう、枯れてしまいました。

130917栗の木 
写真はガラ紡工場跡地。右上に枯れたクリの木があります。

 こればかりは、とても不思議です。住民がいなくなるのを、まるでわかったかのようです。寂しいです。

 なので、私はガラ紡工場の土地で、クリの木を再生しようと思っています。

 桃栗三年柿八年といいますから、気長に。

[2013/09/17 05:21] | 季節2013 | トラックバック(0) | コメント(0) |
月の満ちかけ絵本
 台風が近づいています。

 夜明けの名古屋は、風はそれほどではありません。雨はときおり激しくふっています。

 ですが、ラジオでは「最大級の警戒が必要」と繰り返しています。今は、嵐の前の静けさでしょうか。

 被災されている方々には、お見舞い申しあげます。



 今年の春に『月の満ちかけ絵本』を衝動買いしました。新月から29日目までの月を、旧暦や風習などと一緒に紹介しています。

 娘のために、というよりも私が読みたくて購入しました。


130916月の満ち欠け本

 ところで、月をテーマにした絵本が次々と出されているそうで、静かなブームとか。

 私は明け方の細い月が好きです。「明けの三日月」と呼ばれていると、この本で知りました。

 我が家からみえる名古屋の夜空は明るいのですが、松平に住んだら真っ暗な夜空に光る月や星を楽しみたいです。

 もうすぐ中秋の名月。今年は9月19日です。

[2013/09/16 05:53] | 本・映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |
福島⑬ あの日からもずっと…
 福島駅の書店で購入した本があります。

 『あの日からもずっと、福島・渡利で子育てをしています』(かもがわ出版)です。

20130831_060418.jpg


 福島市渡利地域とは、福島市の中心部から東部にあり、福島原発から北西に約60キロの地域。福島市内でも比較的放射線量の高い地域といわれています。

 その渡利に住み、学童保育の指導員をしている佐藤秀樹さん一家の著書です。ご家族には高校生・中学生・保育園の3人の子どもたちがいます。

 前書きを紹介します。

 大震災・原発事故の後、事実ではない福島の子どもたちの「実態」が流されているように感じています。福島で子育てしている私たち自身が、自分たちの想いを声に出さなければいけないのではないか。リアルな福島の子どもたちのようすを全国の人たちにも、政府も東電にも伝えなければいけないのではないか。そういう責任が原発事故の被害者である私たちにはあるのではないか。そんな想いでこの本を書きました。
 


 著書では、あの日の「それまで」と「それから」、そして「今」と「これから」が綴られています。

 特に、日々の食事・飲料・給食・遊び、そして運動会・プールなど季節の行事…外部被ばくと内部被ばくから子どもたちを防ぐために、そのときどきに親として苦悩・葛藤・選択・決断をする様子がよくわかりました。
 

 現在、保育園年長の娘に重ね合わせてしまいました。

 一部、 文章を紹介します。

  • 避難生活を送る方々も含め、福島の人を見るとき、「避難した人、している人」と「避難できない人」に分類して考えることはないだろうか。もちろん、「避難した人、している人」もいる。「避難させられている人」もいる。今、福島に住んでいる人たちだって、「避難したい人」「避難できない人」「住み続けることを選んだ人」「当面はここで暮らしていこうと思っている人」など、さまざまだ。

  •  誰もあきらめてはいない。悩み、学び、選択して、踏ん張って生きている。実態は一つではないことを見ていってほしい。できるだけ多くの人と話し、自分の五感で福島の喜怒哀楽を感じていってほしい。何度も何度も訪れてほしい。

  •  どんな支援を、と問われたら、「それぞれの持ち場で奮闘すべし」と私は答えている。事故前の政策・制度の貧しさが、事故後の復旧・復興に響いていることがたくさんあるからだ。
 
 

 この本、そして実際に被災地にいって感じたことを最後に綴ります。 
 

 繰り返しになりますが、実際に福島に身を置き、原発事故がもたらした被害を目の当たりにすれば、非常事態は今でも続いています。原発は一刻も早く廃炉にしないと安心できません。原発廃炉の議論をはじめるべきなのに、再稼働や原発輸出をする政府や東電の姿勢は許せません。

 それ以上に強く感じたのは、起きてしまった放射性物質の被災からは逃れられないという運命です(運命という言葉が適当なのか悩みますが)。その運命に福島のみなさんは正面から向き合って暮らしていくわけです。当事者でなければわからない感情も多いはずです。

 特に県外に住むものは、当事者のみなさんの想いに丁寧に耳を傾ける営みがとても大事だと感じました。

 主催した福島生協労組は「実際に原発被災地に身を置いてもらいたい」と毎月第4土曜日に視察を実施すると決めました。このような営みを、当事者である福島のみなさんが行うことに敬意を表します。

 最後の最後に、今回視察を主催した福島生協労組のみなさん(特にバスでずっと熱弁だったGさん)、また視察に送り出していただいた生協労連のみなさんに感謝いたします。

[2013/09/15 08:57] | 福島にて | トラックバック(0) | コメント(0) |
福島⑫ 福島県産
 学生から依頼されたアンケートとは、福島県産の食べものに関してでした。

 一部を紹介すると
  1. 福島県産の食品を購入していますか?
  2. 福島県産の食品に対して不安を感じていますか?
  3. 放射性物質と食品の安全性について調べたことがありますか?
 


 
 
 「1」については、我が家は生協を通して、福島県産の桃を購入しました。できるだけ福島県産の食品を購入し応援しようと家族で話し合っています。

 「2」「3」については、食品による内部被ばくなど「正しく知っているか」と問われると、恥ずかしながらよくわかりません。

  イベントパンフレットには「首都圏では、米の全袋検査について2割しか認知されていない」という記述がありました。福島県産米の全袋検査については、私も知りませんでした。

  放射能検査体制について若干の知識は持ち合わせていましたが、「正しく知らない」ために「全く不安がない」とこたえきれませんでした。

  アンケートをとおして、私の勉強不足を思い知りました。

  たまたま立ち寄ったイベント。福島県の農家や漁師の方々、食品加工に携わるみなさん、それを支援する団体などが、放射性物質や風評被害に苦悩しつつも模索し努力しているのだと知りました。

 「正しい姿を知ってほしい」と発信する姿に、「福島県産」というレッテルだけで恐れてはいけないのだとわかりました。

 そんな福島県の農家の様子を記録したドキュメンタリー映画が完成したそうです。タイトルは『天に栄える村』。原発事故直後から福島県天栄村で行われた「放射能ゼロ」の米づくりの様子を記録した内容と紹介されていました。

130914映画


 ぜひ、みたいと思いました。(続く)

[2013/09/14 06:46] | 福島にて | トラックバック(0) | コメント(0) |
福島⑪ 街なかマルシェ
 被災地訪問前日に福島駅前通りの公園で催し物をしていました。

 『街なかマルシェ』とあります。

130913街なかマルシェ’


 福島大学小山ゼミナール主催、福島生協連が共催の催し物です。

130913看板’


 地元の農家や漁業組合のみなさんが出展されていました。

130913出店’

 放射線量測定のデモンストレーションや、福島大学の「うつくしまふくしま未来支援センター」という、福島の地域産業再生の活動も展示されていました。

130913デモンストレーション’

 私もこの日は、「食べるのも支援」といろいろといただきました。

 この催し物について、パンフレットでは…

 私たちは小山良太ゼミナールは震災以前、6次産業化・地産地消を目指す「青空市マルシェ」を開催し、中山間地域の農家、都市部の消費者との相互理解を深める活動を実施。しかし、東日本大震災後、正確な情報発信と地産地消の再構築を中心に路線変更する。生産者・消費者・学生のコミュニティの場を創り、福島の復旧に努める。


130913パンフレット’

 
 「正確な情報発信」という言葉に目を落としていると、学生スタッフからアンケートを依頼されました。(続く)

[2013/09/13 06:23] | 福島にて | トラックバック(0) | コメント(0) |
福島⑩ 非常事態が続いている
 今日からは七十二候で「鶺鴒鳴」(せきれいなく)。セキレイがなく頃になったとのことですが、セキレイがどんな鳥なのかが、恥ずかしながらよく知りません。

 さて、やっと電話回線が回復しました。今日は4日前の福島原発被災地訪問の続きです。

 みなさんの身近に、福島からの避難者はいらっしゃいますか?

 今回の視察にあたり、主催者が福島県の避難者数を調べました。

 福島県外の避難者は5万2277人です。愛知県には773人が避難されています。(今年8月12日復興庁調べ)福島県内の避難者を含めれば、もっと増えます。

 18歳未満の子どもたちの避難者数は、福島県外1万7895人、福島県内1万2214人です。

 「そんなにいらっしゃるのか」というのが、私の感想です。少なくとも11市町村が、帰還困難区域や居住制限を受けているのですから当然です。

 ここで考えたいのが、なぜ「そんなに避難者がいらっしゃるのか」と思ったのかです。

 一昨年12月に当時の野田首相が、原発事故について「収束宣言」をしました。先日は、安倍首相がIOC総会で「福島の課題や問題は、完全に払しょくできた」と世界にアピールしました。

 「収束」「完全に払しょく」とは、避難されている方がもとの生活に戻れる状態をさします。しかし、私がみた福島の原発被災地は、収束や払しょくどころではありません。「非常事態」がいまだに続いています。ましてや、汚染水問題も浮上しています。

 避難者数を知って「そんなにいらっしゃるのか」と感じた背景には、「収束」「完全に払しょく」という政府の誤った宣言があるからではないか。そのために、国内外に福島の原発被災地の実態が、大きな問題として正しく伝わっていないからだ、と思います。

 もう卒園されましたが、私の保育園にも福島から避難していた男の子がいました。ママと男の子は名古屋に避難し、パパと離れた生活となりました。男の子が、七夕飾りで書いていた願いは「なつやすみに、パパにあえますように」でした。
 家族で一緒に生活したいという、当たり前の願いを奪ったのが原発事故です。

 地震や津波などの自然災害の発生は避けられません。そのための対策は必要です。しかし、原発はもともと問題が指摘されていたにもかかわらず建設がされました。原発被災は、私は「人災」だと思います。

 「収束宣言」「完全に払しょく」などは撤回し、「福島の非常事態は続いている」と再度宣言が必要だというのが、今回の福島訪問で思いを強くしました。

 さて、そんな状況でも福島では、原発事故を受け止め乗り越えようという方々がいます。次に紹介します。(続く)

130912コープふくしま

 写真は南相馬市で会った、配達中のコープふくしまのなかまです。「顔出しOK」とのこと。コープのなかまが被災地で暮らしを支えていると思うと、心強くなります。
[2013/09/12 05:09] | 福島にて | トラックバック(0) | コメント(0) |
ヒガンバナ
ヒガンバナが咲き出しました。

20130909_134442.jpg



ヒガンバナには「鮮烈」という言葉が似合います。鮮やかな赤色と独特の姿だけではありません。彼岸の頃に、突然咲いているからです。

葉がなく、思わぬところからすっと茎が伸びて、パッと花を開かせています。これが毎年不思議でなりません。

妻は、ヒガンバナがあまり好きではありません。「死人花」と呼ばれ、球根に毒があるからとのこと。私は、季節の切り替えをパッと手品のようにしてくれるので好きなのですが。

今日には電話回線が復旧の見込み。ようやくバソコンからブログが配信できそうです。
[2013/09/11 05:22] | 季節2013 | トラックバック(0) | コメント(0) |
今日で400号
今日でブログが400号。なのに自宅の回線が不通で、スマホから配信です。

ブログを始めた頃は、ガラ紡績や松平の紹介、季節の移ろいなど「里山暮らし」を細々と綴ってきました。
最近は、戦跡や原発被災地訪問など「一見」里山暮らしと関係のない内容も綴っています。

しかし、里山暮らしができるのも、平和であり安心できる世の中が大前提です。これからも世の中の動きにも敏感になって、配信したいと思ってます。

写真は建築中の家の様子。薪ストーブの煙突がつきました。(90度外回転させてご覧下さい)
20130902_113157.jpg



[2013/09/10 05:54] | 節目に | トラックバック(0) | コメント(0) |
ヤブラン
自宅の通話回線がなぜか不通になりました。明後日までつながりません(泣)。

ブロガーとしては、毎日記事を書かないと気分がよくないので、スマホから配信します。

渾身の福島訪問記はまた後日に(>_<)

本日は天気が良く松平郷を散歩しました。ヤブランに実がつきだしています。紫色の小さい花より大きい実です。まもなく黒くなりますが、なんだか緑色の実と紫色の花が一緒だと姿がユーモラスです。20130909_120709.jpg
[2013/09/09 17:19] | 季節2013 | トラックバック(0) | コメント(0) |
福島⑨ 黙とう
 バスは、浪江町の海岸近くの慰霊碑へ。 津波で被災した地点です。

130908慰霊碑’

 福島第一原発第5・6号機がみえました。遠くの鉄塔のようにみえるのが原発です。

130908原発

 参加者で黙とうをささげました。この地で、迫る津波から逃げ、助けを求め、そして犠牲となられた方々を思うと、胸がいっぱいになります。

130908黙とう

 ここは原発の真北に位置します。放射線量は0.241μSv/Hと浪江中心部の10分の1です。原発がみえていても、方向が違うと放射線量も大きく異なっています。

130908原発近く’



 帰り道では、スクリーニング検査をうけます。原発被災地に足を踏み入れた人が、高い放射性物質を持ち込まないようにするためです。

130908スクリーニング

 主催者から、この一日で私たちがうけた放射線量が報告されました。約1.0μSvほどで問題のない量とのことでした。

 帰り道、あらためて福島・原発被災地を訪ねた意味を考えました(続く)。

[2013/09/08 09:12] | 福島にて | トラックバック(0) | コメント(0) |
福島⑧ ゴーストタウン
 今日は二十四節気で「白露」。七十二候で「草露白」(くさつゆしろし)。草の露が白く光って見える時期です。

 先日、朝の散歩のときに「雨じゃないのに、草がぬれているね。どうして?」と娘から質問をうけました。うまく答えられなかったので、ちゃんと勉強しようと反省しました。

 福島の原発被災地訪問の続きです。

 目の前に延びる浪江駅前の商店街は、大変不謹慎な言い方ではありますが、よくできた映画のセットのようでした。

 ゴーストタウンなのです。


 ガラスの破片がそのまま。
 雑草が私の背の高さまで茂っていました。
 倒壊寸前の家々がまだそのままの状態で立ち並んでいました。

 駅前には新聞店がありました。2011年3月12日付の、震災を大きく伝える見出しの新聞が、配られることもなく、そのまま山積みでした。

 浪江駅は福島原発からおおよそ6キロの地点です。3月12日に福島第一原発が爆発してから、街全体で着の身、着のまま避難したと察します。

 時間がとまっています。

 主催者と相談し、駅からのびる道の様子はスマホで写真撮影をしました。街の様子を想像していただければ幸いです。

130907駅前’


 駅はもちろん不通です。線路も草で覆われています。

130907浪江駅’


 駅前から少し離れた草むらで放射線量を測ると4.28μSv/H

130907草むら


 あまりの高さに驚きの声が参加者からあがります。
 
 これだけ高い数値でありながら、放射性物質は目に見えません。臭いもありません。色もありません。だからこそ、放射性物質で街を汚染させ、強制避難をさせた原発の罪の重さを覚えずにいられません。

 バスは福島第一原発がみえる地点へ。(続く)
[2013/09/07 06:51] | 福島にて | トラックバック(0) | コメント(0) |
福島⑦ セイタカアワダチソウ
 バスは浪江町に入りました。太平洋近くの道を走ります。

 津波で流された船が、あちこちに残っています。

130906船 



 広がる田んぼには、稲ではなくセイタカアワダチソウが勢いよく育っています。
 

 

「草原のようにみえますが、セイタカアワダチソウのふもとに津波で流されたものがまだ残っています」

130906セイタカアワダチソウ’


 そうなのか。この下にはまだ、被災された方々の思い出も宝物も残っているのか…

 一昨年から今年にかけて、岩手・宮城の沿岸近くの被災地を訪ねました。復興はまだ遠いとはいえ、手つかずではありませんでした。

 しかし、浪江の沿岸近くの風景は、手つかずの状態でした。「放射性物質にも被災した福島は、岩手と宮城と異なる復興状況なんです」という説明も、実際にみてよくわかりました。

 バスは、浪江駅前の商店街に入りました。

主催者からは

「今からバスを降りて駅前を歩きます。その際にお願いがあります。家々のカメラ撮影はご遠慮ください。住民のみなさんは避難されていますが、一斉にご自宅が撮影されることを好まない方もいらっしゃいます」

 私たちはカメラを置いてバスを降りました。

 私たちのみた浪江駅前の商店街の光景とは…(続く)

[2013/09/06 06:18] | 福島にて | トラックバック(0) | コメント(0) |
福島⑥ ピピピピッ
 昨日の名古屋は豪雨でした。あちこち道路は冠水していました。床下浸水もあったようで、私たちのなかまも車庫が水没しました。

 名古屋は、2000年9月11日には東海豪雨がありました。2年前の9月にも、庄内川があふれて被害が出ました。9月は水害の影響を受けやすい地域です。

 関東では竜巻も発生しています。今回、被災されたみなさんにお見舞い申し上げます。

 さて、福島報告の続きです。

 視察にあたり、主催者から放射線量の測定器が渡されました。放射線量を実感するためです。私はたまたまお借りできましたが、測定器は計測中に音が出ます。バスのなかでは、この音を出していきました。

まずは、最初の休憩場所、川俣町の道の駅では0.367μSv/Hです。近くには除染された土がブルーシートで覆われていましたが。土の処分地もまだ決まっていません。

130905川俣’

 いよいよ飯館村へ。この地域は居住制限区域にあたります。街なかに住民の姿がみられません。田んぼは草が広がっており、稲が育てられていません。

 バスの中で計測すると、最高で1.317μSv/Hでした。名古屋と比較すると22倍の放射線量がこの地にあるということになります。

130905飯舘’

 
 そんなに放射線量があると実感するのは、計測中の機械音です。バスではいくつかの測定器が機械音を鳴り響かせていました。

 値が高くなればなるほど大きくなる機械音。通常は、ピッ ピッ、ピッという程度ですが、値が高くなるとピピピピピッと音のリズムも速く、音色も高くなります。
 
 決して心地のいい音ではありません。私の胸の鼓動も高くなり、住民の方々を思うと胸がしめつけられました。(続く)

[2013/09/05 06:34] | 福島にて | トラックバック(0) | コメント(1) |
福島⑤ 風向きで
 バスで向かったのは、福島市から、川俣町→飯舘村→南相馬市→浪江町です。

 ところで、現在原発被災地は3区域に分かれています。

  • 帰還困難区域・・・年間50mSv以上、強制避難・立入禁止
  • 居住制限区域・・・年間20mSV以上。午前9時から午後4時なら立入可(宿泊不可)
  • 避難指示解除準備区域・・・年間20mSv以下。午前9時から午後4時なら立入可(宿泊不可)

 帰還困難区域はそもそも立ち入ることができません。

 制限区域や解除準備区域は、許可されたものしか入れません。今回は、福島生協労組のご尽力で私たちは立ち入ることができました。

 ところで、原発被災区域を地図であらわすと下の通りになります(地元紙の資料から)。

130905区域地図 

 

 当初、私は福島第一原発から同心円状に放射性物質が広がった、とイメージしていました。

 しかし、当時の爆発時の風向きの影響で、放射線物質は北西の方向に集中して流れました。

 したがって、福島第一原発から北にある南相馬市は、現在居住できる地域もあれば、制限区域・帰還困難地域もあります。行政としても対応に悩み、住民の間でも感情的に複雑な思いを抱いていることには心痛みます。(続く)

[2013/09/04 06:24] | 福島にて | トラックバック(1) | コメント(0) |
福島④ 放射線量の単位
  「放射線を正しく知る」といっても、私は十分知識を持ち合わせていません。ですが、少なくとも放射線量については、以下の勉強をしました。

 まずは、単位です。被ばく放射線量は「シーベルト」(Sv)という単位をつかいます。

  • 1Sv=1,000mSv(ミリシーベルト)=1,000,000μSy(マイクロシーベルト)

 名古屋で計測した0.058μSv/hというのは、1時間に被ばくする放射線量は0.058μSvということです。
この計測に基づくと

  • 1日の被ばく量は、0.058μSv×24時間=1.392μSv
  • 1年の被ばく量は 1.392μSv ×365日=508μSv=0.508mSv

 1年で平均的な年間被ばく量は約2.1mSvといわれています。また、福島県では除線の放射線量基準値を0.23μSv/h以下を目指すとしています。

 いよいよ出発です。福島駅に集合した参加者は44人です。

 福島駅での放射線量は0.172μSv/hです。名古屋よりは3倍ほどの量です。

130903福島駅’ 福島駅

(続く)

[2013/09/03 06:22] | 福島にて | トラックバック(0) | コメント(0) |
福島③ 正しく放射線に向き合う
 今日から七十二候で禾乃登(こくものみのる)稲が実る頃というとおり、田んぼは秋のもようです。

 しかし、後日に述べますが、福島の原発被災地の田んぼはセイタカアワダチソウで覆われていました。心痛みます。

 さて、福島駅に到着しての駅前の第一印象は、特別に変わった様子はありません。

 ところが、住宅街に入っていくと公園・保育園・小中学校では放射線量を測定する機械が設置されていました。

130902公園’ 公園

130902保育園’ 保育園






 また、放射線量の測定報告や除染報告の看板をよくみます。

130902報告’


 地元紙には、放射線量の結果報告が一覧になっています。

130902新聞’

 福島では「放射線」「除染」に常に向き合う暮らしがあるのだと実感しました。

 しかし、放射線は色があるわけでも、においがあるわけでも、目に見えるわけでもありません。

 それだけに、目の前に放射線がある事実をつきつけられると、不安を感じないわけではありません。そこで必要になるのは、放射線の正しい知識です。(続く)

[2013/09/02 06:05] | 福島にて | トラックバック(0) | コメント(0) |
福島② フクシマという一言では…
 福島の原発被災地報告の前に、福島に行こうと思った動機を紹介します。

 私の勤める生協では、愛知県内の諸団体と一緒に毎年5月31日から6月11日にかけて、平和行進を行っています。県内を「核兵器を世界からなくそう」とアピールして歩くのです。

 私も事務局の一員として14年間かかわっていますが、3.11以降「原爆も原発も人類とは共存できない」というスローガンをかかげてきました。

 その際に、行進参加者や地域の方々に原発や放射能の問題を身近に感じてもらうため、放射線量を測定しながら歩いてきました。

 その様子を配信したところ、福島に住む同じ生協のなかまから「複雑です」というコメントが届きました。

 このコメントに私は衝撃をあたえました。私としては、フクシマのことを思い行動してきたという自負があったのです。

 コメントの続きは


 「実はフクシマという一言で福島を語ってはいけないと私は思うんです。この地の住民として、正しく知らせていく役割重要かなと」

 確かにそうです。福島といっても、

  • 原発事故によって強制的に避難を強いられている方。
  • 放射線の不安から自主的に避難されている方。
  • 避難したくても、諸事情でできない方。
  • 原発事故の影響がなく、放射線量も高くないのに風評以外をうけている方。
 

 つまり、愛知県に住んでいると感じることができない深い感情が福島にあるのではないか。

 その感情を受け止めることで、脱原発や自然エネルギー転換、復興支援・暮らしの見直しという言葉の重みも違ってくるのではないか。
 

 単純な図式で語ってはいけないものがあるのではないか…

 ・・・私のなかでうまく整理できない、悶々とした感情が生まれました。 この感情に向き合うために、福島に行く機会をつくろうと決めていました。

 そこで、たまたま私たちのなかまである福島生協労組企画の原発被災地訪問の機会をえました。たった一日ではありますが、実際に福島の原発被災地に身をおいて、福島の今を感じようと決意しました。

 福島にいくにあたり、放射線量測定器をお借りしました。名古屋では0.058μSv/hでした。

130901名古屋測定



 数字の意味するものは、今後紹介していきます。

[2013/09/01 07:28] | 福島にて | トラックバック(0) | コメント(0) |
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