城址とガラ紡の里山暮らし
愛知県豊田市松平。徳川家のルーツにあたる里山です。その里山に2014年から暮らしはじめた家族のどたばた。松平で祖父が営んできたガラ紡のあれこれ、松平のなかでも大給城址の季節の移ろいを紹介していきます。
薪ストーブ設置へ
 我が家の家づくりもラストスパートに入りました。来月末には完成見通しです。

 今回訪ねてみると、薪ストーブが設置されていました。

131031薪ストーブ

 ちなみに、薪ストーブのメーカーはバーモンドキャスティング社。種類はアンコールです。

 少しずつ寒くなってきたので実感がこもってきました。

 今シーズン分の薪の調達は、工務店さんのご好意で見通しがつきました。

 ですが、本格的にこちらでも薪ネットワークをつくっていきたいと思います。


[2013/10/31 06:02] | 薪ストーブ2013 | トラックバック(0) | コメント(0) |
アメリカ綿 あちこちはじく
 なかなかはじけそうになかったアメリカ綿。

 台風で再び倒れていないか心配しながら、先日移住地までみにいきました。

 なんと、いくつもはじけていました。きれいな真っ白な色です。

131030アメリカ綿

 摘んでみるとアジア綿よりも少し固い感じがします。もっとフワフワになるのかもしれませんが、今年は「種から綿を育ててみる」のが目標でしたので、良しとします。

 このままドライフラワーにするのもいいのでしょうが、それは来年以降の楽しみにします。

[2013/10/30 05:57] | ワタづくり2013 | トラックバック(0) | コメント(0) |
シイの実
 娘がシイの実を拾ってきました。愛知県尾張旭市にある森林公園に、シイの実があると教えていただいたのです。私は仕事で一緒にはいけませんでしたが、娘は興味津々でした。どうしても、どんぐりを食べたいようです。

 拾ってきたシイを、『どんぐりノート』で調べてみました。おそらく「スダジイ」のようです。本によれば、シイは正確にはどんぐりとはいえないようですが、『どんぐりノート』ではどんぐりのなかまとして扱われています。

131029しい①


 生でも食べてみました。ですが、いまいちおいしさがわかりません。

 フライパンで炒ってみました。皮が少し割れて白い実が出てきました。

131029しい②

 この白い実を食べてみましたが、なかなか香ばしい味がしました。

131029しい③

 シイは松平でもあるようです。育っている場所をみつけたら、ちょっとしたおやつにできそうです。

[2013/10/29 05:25] | 遊び | トラックバック(1) | コメント(0) |
豊森第5講座⑦ つながりと信頼
 今日から七十二候で「霎時施」(こさめときどきふる)。前線や台風のために雨の降る日が続きましたね。一雨ごとに寒くなっている気がします。

 さて、豊森第5講座の締めくくりは、恒例の塾生全員によるディスカッションです。塾生の発言にいろいろと気づかされます。祭の感想でもみんなが同じような印象をもっていたりして、笑いが起きていました。

 さて、私の感想です。

 今回の講座にあたり、二つのことを事前に行おうと思っていました。

一つは、私の住む松平地区の人口調べです。

 松平地区全体では、高齢化率が20%です。旭地区(39.1%)に比べればかなり低いです。しかし、松平地区は街と過疎が混在しています。町別では高齢化率56%のところもあれば、5%という団地の地区もあります。ちなみに移住予定地の大内町は山が大半で、高齢化率は32%です。Sさんの自治区と同じぐらいです。

 もう一つ行おうとしたこと。実は大内町の秋祭にいってみようと思ったのです。

 まだ、つながりがないなかで参加できるのか、実は躊躇もしてました。案の定、神社近くまでいきましたが、今一歩なかに入れませんでした。

 今回旭地区の祭に参加して太鼓がたたくことができたのも、長年豊森が地域に入り信頼が得られているからです。やはり、まだつながりのない地域に急きょ入ろうとするのは心情的に難しいなぁ、と感じました。

 長年大内町に住んでいたおじは地元の関係を大事にし、私にも「住むならつとめは大事」となんどもいわれています。来年から移るにあたって私も「つとめ」を大事にしたいと思っています。

 また、私が移住して描いていることが地元で受け入れられるかどうかは、「いいだしっぺが続けてやる」という信頼が得られないといけないのだな、と感じました。

 「かえるもの」と「かえないもの」。それが何かを探るということもキーワードになった豊森第5回講座でした。

[2013/10/28 08:04] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
豊森第5講座⑥ ウェルカムな気持ち
 台風が予想よりも離れていきましたが、急に肌寒くなってきましたね。木々の色も変わりはじめました。

 さて、講座『集落の未来』の続きです。

 Sさんが街の方々と集落で交流していると驚くことがあるといいます。

 集落では当たり前と思っている昔ながらの家・道具・くらしを、「すごい」といってくれるのです。そして体験された方が「良かった」からと次のつながりを生み出しているとのこと。

 なかには、集落の空き家に住みたいという方もでてきています。豊田市でも「空き家情報バンク」という制度があり、希望者もいらっしゃるそうです。

 ただ、地元にはさまざまな「つとめ」があります。

 「つとめ」とは、草刈りなどの日常的なものから、祭をはじめとするハレの任務まで、集落の結びつきを確かめる大事なものです。なので、「集落をかきみだすような人は困る」という意味でも、Sさんは空き家入居希望者と面接をするそうです。

 集落でも「よそもの」の受け入れは議論があるようです。いわゆる「よそもの排除」「田舎根性」のようなものです。しかし、Sさんはもはや過疎地は臨界点を超えており、「よそもの」と一緒になって考えないと、集落の未来は描けないと考えています。

「よそもの」だけでなく、地元でも新しいことをしようとすると、「やれっこない」という声は出てくる。しかし、今は「なんとかしないといけない」という集落の状況だ。いいだしっぺがきちんとやり続ければ、賛同してくれる人が一人またひとりと増えてくるはず。「よそもの」がやれなかったときに、「やっぱり、いったとおりだ」と批判するのではなくアドバイスが大事だし、地元にとってもウェルカムという気持ちがないといけない。

 Sさんは意味深い言葉で締めくくりました。(続く)

[2013/10/27 06:56] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
豊森第5講座⑤ 集落の未来
 今朝は、東北で津波があったようですね。台風はそれましたが、自然災害の心配が続いています。

 豊森なりわい塾第5講座2日目。午後は講座です。「集落の未来〜自治はどこまで可能か?」をテーマに、地元の自治区長Sさんに話をうかがいました。

 こちらの自治区は、2011年統計で人口1147人です。高齢化率(65歳以上が人口に占める割合)は35.5%で407人です。一方、小中学生73人です。

 このまま推移すると、30年後の2041年には、人口549人に減少し高齢化率47.0%に達します。

131026人口推移

 将来の自治機能が維持できるかが問われる事態に直面します。耕作放棄地や空き家問題なども一層深刻になります。

 地元では、農での交流・農用地の保全・定住対策・森林保全を柱に進めているとのこと。トヨタ関連の企業・労組・生協が、田植えや稲刈りをする動きが作り出されていると報告がありました。

 Sさんとしては、このような組織で携わってくれた方々のなかから一歩踏み出す人がいて、田んぼをはじめたり、移住したりしてくれないか、と期待しているとのこと。

 ただ、そう簡単にはいかないようです。

 もともと田んぼは「88の手入れ」が必要といわれるほど日常管理が大事になります。それができないから耕作放棄地になるのであり、草刈りは重労働になっています。たまに訪れて田植えや稲刈りをする程度では、地元としても管理に手が回りません。

 なので、個人単位で農での交流や農用地の保全は、まだ見通しが厳しいようです。農地保全を都市の方もすすめるなら、集落援農のような仕組みが必要だと、Sさんは話されていました。(続く)

[2013/10/26 06:35] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
豊森第5講座④ 心地よい二拍手
 神社内で行われた神事は、1年の実りに感謝するもの。地元の消防団・交番・、旭高原元気村の方・小学校や中学校の先生など、地域の要職の方々も参加されています。

 それから、子どもが生まれたばかりの若い3家族の初参りも行われました。部落として初参りを祝ってくれるのですね。途中、地元の子どもたちが巫女として踊りもしていまいた。

 今回は、私たち豊森もスタッフのNさんが代表で二礼二拍手一礼をしました。

 その際に塾生・スタッフもNさんにあわせて二拍手しました。その瞬間、その後の余韻がなんとも心地よいものでした。

 そもそも祭りの意味や地域での課題を議論し、地域に入っていろいろと関わってきたからでしょうか。それに雨ということもあったのでしょうか、二拍手に一体感みたいなものを感じました。

 神事後は、再度太鼓や笛のお囃子が始まりました。

 私は屋台にあった、五平餅・へぼめし・みそこんにゃくを味わいました。五平餅は私のソウルフードでありますが、へぼめしは初めて食べました。へぼとはハチのこと。なかなか独特の食感でしたが、おいしかったです。

131025五平餅

131025へぼめし

 祭はいったん昼で区切り。雨のために神輿は中止となりました。

 確かに参加されている方々は高齢の方が多く、小学生は巫女役4人と男の子1人でした。楽しくも、地域のいまの現状も感じた八幡神社のお祭りでした。(続く)

[2013/10/25 05:55] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
豊森第5講座③ 笛・太鼓
 八幡神社には、農村舞台があります。この辺りの神社ではよくみかけます。この農村舞台に太鼓がセッティングされました。

131024農村舞台


 地元の方々が「祭」のハッピをきて集まりはじめました。雨のため開始が遅くなりましたが、宮司による神事後に太鼓や笛でのお囃子が始まります。

 地元のみなさんは、それぞれ笛の役、太鼓役、小太鼓役が決まっているようです。同じようなリズムが何度も何度も繰り返され、太鼓役の方々が交代で太鼓を打っています。みなさんお上手で、幼いころから受け継がれている技なのでしょう。

 そのうち、「あなたたちも太鼓をやってみなさい」とお声がかかりました。「えぇ〜。そんなやってもいいのかなぁ」と躊躇しつつも、豊森なかまはみんな鉢をもちました。交代で太鼓を打ちます。

131024太鼓
 

 私の番です。

131024体験

 まったくリズムがつかめません。打たないところで打ったり、打つべき拍子が遅かったり速かったり…。ですが、あたたかく教えてくれました。

 そのうち、お酒もまわってきました。残念ながら、私は運転のため飲めません。お酒のせいでしょうか、だんだん太鼓の音が大きく陽気になってきました。

 こんな時間を1時間ほど過ごしたでしょうか。いったん区切りをつけ、次は神社で神事が行われました。(続く)

[2013/10/24 05:07] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
豊森第5講座② 祭を支えて欲しい
 今日から二十四節気で「霜降」、七十二候で「霜始降」(しもはじめてふる)。露から冷気で霜になる時期なのですが、まだ寒暖の差が激しいですね。体調を崩されている方もいらっしゃいますので、どうぞご自愛ください。

 豊森第5講座2日目「八幡神社のお祭り」の続きです。

 今回の講座にあたり、事前に事務局より呼びかけがありました。

 このお祭りは旭八幡の人たちだけでなく、築羽自治区のすべての集落から人が集まる、大きなお祭りだそうです。その祭りの接待役は、宮本の旭八幡が務めるわけですが、たった15戸しかありません。過疎少子高齢化の進む中、お祭りの山車を出して、笛太鼓をやるのがどうしても大変だということで(中略)、われら豊森なりわい塾に白羽の矢が立ちました。地域のじっちゃんばったん、若者子どもと一緒に山車引っ張りたいよ!っていう方を募集します。 
 

 9月の第4回講座で、集落における祭りの意義と過疎の悩みを聞いていました。

 それに、祭の太鼓やお囃子は、この時期ききたくなるものです。

 なので、私は募集にこたえることにしました。朝6時15分に家を出発。8時前につきました。

 あいにくの雨でしたが、祭りは雨でも実施。会場は、小高い山の上にある八幡神社です。
 私と同じ有志の塾生は7人。いざ、神社へ。

131023神社 
(続く)
[2013/10/23 05:11] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
豊森第5講座① 人口シミュレーション
 今年1年間、月1回の土日ですが「豊森なりわい塾」に通っています。里山移住にあたっての作法と、地域の課題を豊田市旭地区で学んでいます。

 その第5講座が10月19-20日に行われました。今回のテーマは「『つとめ』とは何か〜地域コミュニティの自治と将来の人口推測」です。

 (私は所要で初日講座は参加できませんでした。以下は、資料に基づいての初日の様子です)

 過疎地域では(都心でも同様の課題はありますが)、急激な高齢化により集落の自治と維持が課題です。旭地区もその課題に直面しています。

 講座では、旭支所の方を講師に、地域の現状についてレクチャーが行われました。

 人口シミュレーションによれば「30代家族が毎年1家族地域に増えていけば、将来の急激な高齢化を防げるのでは」という見通しをもっているとのこと。旭地区の3集落では、集落カルテを作成して将来をどうしようか話し合われています。

 私としては興味深いテーマでしたので、講座がきけずに残念でした。

 さて、2日目です。旭八幡町の八幡神社のお祭りに参加するのが講座となっていました。

131022八幡神社


 この日はあいにくの雨となってしまいました(続く)。

[2013/10/22 06:02] | 豊森なりわい塾 | トラックバック(0) | コメント(0) |
どんぐり④ どんぐり工作
 たくさんのどんぐりを家に持ち帰りました。娘と一緒に工作をして遊びました。

 娘から依頼されたのは「どんぐりエレベーター」。底に穴をあけたペットボールを5本つなげました。上下に振って穴を通して遊ぶというものです。

131021どんぐりエレベーター

 それから「どんぐりコロコロ」。流しそうめんで使用した竹をつかって、どんぐりを転がして遊びました。

131021コロコロ

 単純な遊びではありますが、娘と一緒に楽しみました。

 私の幼いころは、コマとやじろべえが定番でした。楽しかった覚えがあります。こんな私の楽しかった体験があったから、娘と一緒にどんぐりを楽しもうという気持ちにもなります。娘との工作遊びは、私の夢中になった記憶を呼び起こす大事な時間です。

 これからもどんぐり遊びを、娘と一緒に私も楽しみたいです。
[2013/10/21 06:03] | 大給城址 | トラックバック(0) | コメント(0) |
どんぐり③ ガサガサ ガサガサ
 大給城址を登る際に、気をつけようと思ったこと。

 それは、ハチとヘビです。特に、マムシやスズメバチに襲われたら致命傷になります。

 もしものために、持参したのはポイズンリムーバーです。

131020ポインズンリムーバー

 ポイズンリムーバーとは、先端の吸い口を傷口に押しつけ、ピストンをひいて毒液を吸い出すというグッズです。

131020ポイズンリムーバー②


 大給城址の頂上からの下り道、ちょうど地域の祭りのシーズンで遠くから花火の音が聞こえます。

 あとはどんぐりの落ちる音です。

「静かだなぁ」と山道を下っていると、なにやら、ガサガサ ガサガサという動物の足音がきこえてきました。

 「もしや、イノシシ?」

 ドキドキしてきました。

 足音は谷の下からきこえてきます。岩の陰になっており、その動物は私たちの存在は気づかないようです。

 私の頭には、「イノシシ突進 親子3人ケガ」という新聞記事の見出しなどが思い浮かびます。私たち3人の動きが止まってしまいました。

 万事休す。

 と覚悟した時、谷から顔を出したのは、シカでした。

 シカも私たちに驚いた様子。至近距離でお互いしばらく見つめあいました。

 「これは、シャッターチャンス!」とカメラを出そうと、私が少し動いた瞬間、シカは谷を下って急ぎ足で去ってしまいました。

 撮影のチャンスを逃してしまいました。

131020谷 
(シカが去った直後の写真です。手ぶれしているので、そのときの心の動きが伝わるでしょうか)

 イノシシやサルがいるときいていましたが、シカもいるとは…。

 幸いシカだったので襲われるという事態は避けられましたが、イノシシ・サル・クマに遭遇した場合の心構えをしよう、と思った出来事でした。(続く)

[2013/10/20 05:34] | 大給城址 | トラックバック(0) | コメント(0) |
どんぐり② 「食べたい!」
 大給城址の頂上につきました。ここからは濃尾平野一帯がみわたせます。この日は名古屋駅のツインタワーもみえました。

 持参したおまんじゅうを食べました。いい気持ちでした。

131019頂上


 さて、とってきたどんぐりは、どんな種類があるのか。『どんぐりノート』を開いて調べました。

131019調べる

 大給城址にあるどんぐりは、主に2種類。

 ひとつは、真ん丸のどんぐりです。ノートによれば、クヌギアベマキか…どちらかのようです。2種類とも、とても似ています。どちらなのかは、またの宿題にします。

131019クヌギ?


  もうひとつは、シラカシです。小粒で長細い形をしています。

131019シラカシ

 娘が「どんぐりを食べたい」と言い出しました。ノートには、どんぐりの料理が掲載されています。

 どんぐりだんご・どんぐりせんべい・どんぐりクッキー…etc。

 長崎・島原出身の妻は、幼いころはどんぐりをいって食べていたそうです。私は、食べたことがありません。「えぇ〜! どんぐりを食べていたのか」と妻を見直しました。

 ならば、どんぐり料理がもっと広まってもいいはずだが…

 よくよくノートを読みました。

 食べられるどんぐりには種類があり、渋みの少ないマテバシイが手軽とか。妻も「食べていたのは、マテバシイだったよ」とのこと。ノートによれば、マテバシイは九州が自生地で、こちらではほとんどみかけません。

 大給城址の頂上で、どんぐりの勉強になりました。(続く)

[2013/10/19 05:58] | 大給城址 | トラックバック(0) | コメント(0) |
どんぐり① 大給城址へ
 今日から七十二候で「蟋蟀在戸」(きりぎりすとにあり)。「蟋蟀」は、キリギリスとも、コオロギとも読みます。キリギリスが戸の辺りで鳴く頃です。
 今はマンションの7階に住んでおり、虫の音を楽しむことはありません。移住したら、この時期ならではの音を楽しみたいものです。

 さて、先日移住地の裏山にある大給(おぎゅう)城址に登り、どんぐり拾いへ。

  というのも、生協で注文した『どんぐりノート』(文化出版局)が届いたからです。

131018どんぐりノート

 本を開くや、娘がどんぐりを拾って遊びたいと目を輝かせました。

 私の移住地は愛知高原国定公園にあり、裏山の大給城址は国指定の史跡です。ここにどんぐりがいっぱいあります。

 さっそく、家族3人で一緒に出かけました。

 あるは、あるは、どんぐりが! 

 娘は片っ端から拾いました。

131018どんぐりひろい


 なかなか前へ進みませんが、その日は時間がいっぱいあったので、娘のペースに合わせました。

 娘は『カントリーロード』の替え歌で、
 
 ♪どんぐりロ〜ド このみち〜 ずうっと〜 いっても〜 
 ♪どんぐりが〜 いっぱい〜 おちてる〜 どんぐりロード

 

とうたって上機嫌。

131019どんぐりロード

 

 いっぱいひろいました。

131019どんぐりいっぱい


(続く)。

[2013/10/18 05:39] | 大給城址 | トラックバック(0) | コメント(0) |
メッセージをありがとうございました
 昨日は、多くの方からメッセージをいただきありがとうございました。これほど寄せられるとは予想しませんでした。

 昨夜は妻と娘がケーキを買ってきてくれました。ささやかながらお祝いをしました。

 なんだか、幸せでした。

131016ケーキ


 ブログで人生上の先輩のみなさんに「40代の頃」を問いかけました。問いかけに答えていただいた先輩方に感謝します。

  • Mさん:40代が人生の最大の転機でした。何をしても後悔や迷いはありそうなもので自分の思った道を進むことにしています。何かを始めるのに遅すぎるということはない。遅すぎることを理由に行動しないことの方がいやです。

  • Yさん:私の40代は楽しいことばかりでした。というか、周りの雑音が気にならなくなり、自分らしく生きることを覚えたのかもしれません。

  • Kさん:40代の頃は子育てがひと段落して、貪欲にがむしゃらにいろいろ外にでました。その結果、今の50代の私がいます。特に、仕事以外のつながりが何よりもかえがたいものになりますよ。

  「自分の思った道」「雑音が気にならない」「自分らしく」「貪欲に」などのキーワードがあるのかな、と感じました。「自分と本気の対話」「迷うなら行動」を積み重ねながら40代前半を過ごしていこうと思いました。

 ところで、私が40代を迎えようというときに東日本大震災が起こりました。自然災害といのちの重みについて、私に大きな価値転換をもたらしたのは間違いありません。

 昨日は「過去10年で最大級の台風」により伊豆大島で犠牲者が17人、行方不明の方が40人以上もいらっしゃるとのこと。42歳の誕生日に、自然の猛威による犠牲者があったことを肝に銘じたいと思います。

 犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし、行方不明の方々が一刻も早くみつかりますように。

[2013/10/17 05:56] | 節目に | トラックバック(0) | コメント(0) |
台風のなかで迎えた誕生日
 台風の雨と風が激しくなるなか、誕生日を迎えました。42歳となります。

 すでにFBを通じてメッセージをいただいています。ありがとうございます。

 私は30代のときから「40歳のときに今後の生き方についてある程度方向を定めよう」と決めていました。

 いざ40歳になった2年前の誕生日には「方向」はまだはっきりしていませんでした。

 ところが、その直後に、突然か、偶然か、必然か、ひょんなことから母方の故郷である里山・豊田松平の移住をひらめいて決断。

 決断するや、私のルーツ(ガラ紡など)にかかわる驚く発見が続きました。さらに、移住準備をするなかで、2年前には全く想像していなかったつながりが生み出されるようになりました。

 いよいよ来年3月末に引っ越して、新年度から新たな暮らしのスタートとなります。「方向」はある程度見据えることができました。(誤解のないように伝えますが、新年度から仕事をやめるわけではありません。念のため)

 この年齢で人生を語るのはおこがましいとは思いますが…。

 これまでも、これからも、人には「ターニングポイント」がいくつかあるはずです。

 私も20代は20代なりの、30代は30代なりの、ターニングポイントがありました。40代にも人生上の決定的なターニングポイントがあると思います(もちろん50代・60代・70代も同様ですが)。

 ただし、仕事のこと、家族のこと、社会のこと、時代のこと…20代や30代とは違って、それなりに責任を積み重ねて生きています。そんななかで40代のターニングポイントとは何か、今は想像つきません。

 ただ、私自身は次のターニングポイントを3年後の45歳に設定しようと思います。

 そのターニングポイントを後悔しないよう、まずは目の前の「すべきこと」をすること。その「すべきこと」を積み重ねた先にある、3年後のターニングポイントにむけ準備を開始しようと思う、42歳の誕生日です。

 私は、人生の先輩たちにききたいと思っています。

  •  40代はどんな時期でしたが?
  •  40代のターニングポイントはなんでしたか?
  •  ターニングポイントをうまく迎えられましたか?
 

 こんな思いをブログに書くのは恥ずかしいのですが、42歳のこの日は一生に一度しかないので。

 写真は、今朝の我が家からの空模様です。

131016誕生日の朝 

 この台風の天気が誕生日を祝ってくれているのかどうか…でも、午後は晴れる予報です。

[2013/10/16 06:11] | 節目に | トラックバック(0) | コメント(0) |
千種名東区戦跡めぐり⑧ ピースあいち
 ナゴヤドームの次に、バスで移動した先は「戦争と平和の資料館 ピースあいち」です。

131015ピースあいち

 名古屋市名東区に2007年5月にできた、比較的新しい資料館です。

 特徴的なのは、NPO法人として市民による運営がされていること。常駐職員は1人で、あとはボランティアによる運営です。多くの戦争にかかわる資料館は行政の建物が多いのですが、ピースあいちは会員の会費や寄付で運営されています。
 
 建設にあたっては、平和を強く願う市民の方によって土地と多大な浄財をうけ、設立することができました。

 この施設は、愛知県下の空襲・戦争の全体像・戦時下の暮らしについて2Fに展示されています。

131015暮らし

131015パネル


 1階には現代の戦争と平和の流れをわかりやく展示しています(すでに、福島原発のこともパネル展示されています)。

131015福島


 さて、今回ピースあいちでガイドをお願いした方が、なんと私の高校時代の卓球の顧問のN先生でした(私の直接の顧問ではありませんでしたが)。N先生が私に声をかけてくださり、20年ぶりぐらいの再会です。思わぬ出会いに驚きましたし、このような形での再会はうれしいものです。

 以上で、今回の戦跡めぐりレポートを終了します。

 あらためて、この千種区名東区は、被害加害の歴史だけでなく平和の大切さを発信している地域なのだと見直しました。

 このような機会をいただいた生協労連パート部のみなさまに感謝いたします。

[2013/10/15 06:15] | 戦跡 | トラックバック(1) | コメント(0) |
千種名東区戦跡めぐり⑦ ナゴヤドームのプレート
 戦跡めぐりの参加者を次に案内したのはナゴヤドームです。

131014ドーム

 ナゴヤドームはよく知られた建物です。ですが、ここにはあまり知られていないプレートがあります。

 そのプレートは総合案内所に掲げられています。

131014案内所


 「平和への礎となられた人々を忘れません」という題名です。

131014プレート 

平和への礎となられた人々を忘れません

 ナゴヤドームが建つこの地は、かつて三菱重工業名古屋発動機製作所大幸工場があり、第二次世界大戦下の1944年(昭和19)12月13日に米空軍B29爆撃機70機の空襲を受け、工場で働く人たち、挺身隊の女性たち、学徒動員の生徒ら300余人の尊い命が奪われました。

 この大戦では、名古屋軍(現中日ドラゴンズ)石丸進一投手(当時24歳)も特攻隊員として出撃、野球への熱い想いを胸に抱いたまま空の彼方へ消えていきました。

 私たちは今日、平和への礎となられた人々を決して忘れず、野球 やコンサートなどを通して感動を味わうことができることに深く感謝し、ここにご冥福をお祈りいたします。
 2004年4月2日 株式会社 ナゴヤドーム
 

 プレートの設置経過をナゴヤドームに問い合わせましたが、資料などは不明とのこと。

 その代わりに、石丸進一投手について記されたパンフレットをいただきました。当日の資料として参加者に配布しました。

131014石丸


 私は中日ドラゴンズの熱烈なファンではありませんが、ナゴヤドームのこのプレートは格調が高いと思っています。

 ただ、私が気になるのは野球にはどうも戦争用語が多いですね(併殺・一死・満塁弾…etc)。これらの言葉は変えてほしいと願っています。(続く)

[2013/10/14 06:43] | 戦跡 | トラックバック(0) | コメント(0) |
千種名東区戦跡めぐり⑥ 被害と加害
 今日から七十二候で『菊花開』(きくのはなひらく)。この時期の晴れの天気を「菊日和」というそうです。昨日今日は、各地で秋祭りが行われていますね。

 戦跡めぐりの続きです。

 参加者から質問をうけました。

 「ジブリ映画『風立ぬ』で堀越二郎が名古屋の三菱で働くというセリフが出てきますが、この場所ですか?」
 

 私は映画をまだみていませんが、「もしかしたらそうかもしれませんね」など確証がもてないまま答えてしまいました。

 あらためて調べてみました。

 同じ三菱でもこの大幸工場ではありませんでした。堀越二郎氏が勤めていたのは、「三菱重工名古屋航空機製作所」で、名古屋市南区にある道徳工場でした。(2013年8月25日付平和新聞参照) 

131013平和新聞


 この場で訂正させていただきます。

 私は『風立ぬ』をみていないので映画の論評はさけますが、航空機エンジンの生産では名古屋で全国の40〜50%をしめていました。この大幸工場も拠点のひとつでした。

 この地で作られたエンジンや爆弾は、中国やアジアの人々に多くの犠牲をもたらしています。三菱の「殉職碑」にはそこまでの記述はありませんが、「加害」を生み出した場所でもあります。

 「殉職碑」のとなりには、鐘も建立されています。

131013鐘


 この地での犠牲者だけでなく、アジア・中国で犠牲になられた方々への慰霊でもあって欲しいです。(続く)

[2013/10/13 07:10] | 戦跡 | トラックバック(1) | コメント(0) |
千種名東区戦跡めぐり⑤ 三菱発動機工場
 出来町通の北側にある三菱の建物へ。この辺りいったいは、三菱重工業名古屋発動機製作所大幸工場がありました。今では三菱の研修所となっています。

131012三菱 

 この敷地内に空襲で犠牲となられた方々の「殉職碑」があります。普段は入れませんが、Nさんのご尽力で三菱に連絡をしていただき見学ができました。 

131012殉職碑②

 戦時中はこの地で陸海軍の航空機エンジンを生産し、学生が動員されていました。当時名古屋で学生であった、著名な哲学者の梅原猛さんもその一人でした。

 梅原さんの著書『神殺しの日本』で、次のような一節があるので紹介します。少し長文ですがお許しを。

  • その暮れに恐ろしいことが起こった。名古屋大空襲である。それははじめての大規模な名古屋空襲であり、工場では何も警戒もしていなかった。突然、B29数十機が名古屋の上空にやって来て、三菱発動機の工場を目がけて爆弾を落としたのである。爆弾は百発百中、工場の外に落ちたものはほとんどなかった。


  • ドドッという爆音とともに地は揺れ、防空壕の中にいる私たちは生きた心地がしなかった。空襲の人波が終わって外に出てみると、人間の死体が鉄骨に引っかかったり、屋根の上に吹き飛ばされたりしていた。


  • 私が入るはずであった防空壕を見にいくと、直撃弾が命中していて、中にいた東邦商業の生徒たちはみな死んでいた。その中学生たちの青白い死顔が今でも私のまぶたに焼きついている。


 この文章を打ち込んでいても想像しがたい惨状が浮かび、胸がしめつけられます(続く)

[2013/10/12 06:41] | 戦跡 | トラックバック(0) | コメント(0) |
千種名東区戦跡めぐり④ 補給廠の塀
 出来町通から一本南の筋に陸軍兵器補給廠(ほきゅうしょう)の塀が残っています。現在は白くきれいに塗られています。

131011塀


 私はこの通りをよく通っていますが、陸軍の建物だと指摘されるまで気づきませんでした。

 戦跡は遺そうとされる方の尽力があって伝えられてきます。

 一方で、知らぬ間に壊される戦跡も数多くあります。

  「戦跡は平和の語り部」です。一見何でもないものが、とても意味があるものだと伝え続けないと、あっという間に壊されてしまいます。


 なので、このような戦跡めぐりはとても意味あると感じます。(続く)

[2013/10/11 06:26] | 戦跡 | トラックバック(0) | コメント(0) |
千種名東区戦跡めぐり③ 市邨学園のクスノキ
 千種公園には銀杏が道端に落ちていました。銀杏の香しいにおいのなか、千種公園を北へ。

 この地域は、市邨学園高校・愛工大名電高校・県立盲学校・名古屋市立大学・振甫中学校・名古屋少年鑑別所など、教育施設が立ち並んでいます。

 当時の学生たちは、陸軍の兵器をつくるために学徒動員がされていました。地元だけでなく市内各地から動員されていました。

 市邨学園高校の敷地に大きなクスノキがあります。

 このクスノキは当時の空襲で焼け野原のなか唯一残りました。爆撃で破壊された時の救出活動の際は、この一本だけのクスノキを目印にしたそうです。

131010クスノキ


 陸軍の機密文書は厳重で、戦争が終わった時に資料はすべて焼却されたはずでした。しかし、1995年頃に市邨学園の生徒たちが陸軍造兵廠の実態を調べていくうちに、様々な資料が出てきました。成果としてもまとめられています。

 このクスノキは戦中も戦後も、この地を見続けてきたのですね。(続く)

[2013/10/10 06:35] | 戦跡 | トラックバック(0) | コメント(0) |
千種名東区戦跡めぐり② 被弾塀
 今回の戦跡ガイド役に地元にお住いのNさんにお願いをしました。

 Nさんは長年教師をされていましたが、約20年前に退職。私とは15年前から労働組合つながりでお世話になっています。

 Nさんと落ち合ったのは、千種公園南西にある被弾塀のあとです。

131009ガイド 


 千種公園・愛工大名電高校・東市民病院などがある場所は、『名古屋陸軍兵器補給廠(ほきゅうしょう)』『名古屋陸軍造兵廠』がありました。ここで戦時中は5万人が昼夜交代で陸軍の小銃・機関銃を生産していました。
 1945年3月以降に何度か空襲をうけて完全に破壊されました。74人が犠牲になったと記録されています。

 千種公園の一角には、当時の爆撃の痕跡を残す外壁を一部移設しています。

131009被弾塀

 『ここに涙あり されど平和は永遠に』と刻まれた記念碑もあります。

131009碑

 ここを出発点に戦跡めぐりがスタート。蚊にも悩まされるほどの暑い日となりました。(続く)

[2013/10/09 06:23] | 戦跡 | トラックバック(0) | コメント(0) |
千種名東戦跡めぐり① ユリ園
 今日から二十四節気で『寒露』。そして、七十二候で『鴻雁来』(がんきたる)。そろそろガンやハクチョウなどの冬鳥がわたってくる頃です。ですが、暑い日がつづきますね。

 先日の10月5-6日、全国の生協で働くパートのみなさんが名古屋に集まりました。生協労連のパート部総会が名古屋で開催されたのです。

 開催県として、私も準備をすすめてきました。私が担当したのは6日の分科会「戦跡めぐりとピースあいち見学」。名古屋市千種区の戦跡をめぐり、名東区にあるピースあいち見学をします。

 戦争の悲惨な惨状について広島・長崎や東京大空襲についてよく知られていますが、愛知県も戦争で多大な空襲に襲われました。爆弾の投下量としては47都道府県では全国最多といわれています。1944年12月から翌年8月にかけて、名古屋千種区北部には。陸軍の兵器工場や三菱発動機の工場があり攻撃をうけました。

 せっかくですので、分科会の様子をこのブログでも紹介したいと思います。

 今回分科会の参加者は25人。宿泊場所の金山に集合してマイクロバスで移動。千種公園から出発しました。
 
 千種公園はユリ園が知られています。周りより少しくぼんだ場所に花壇が作られています。ユリの季節に多くの方が訪れますが、爆弾の投下によってできた穴の跡地になります。

131008ユリ園


(続く)

[2013/10/08 06:18] | 戦跡 | トラックバック(1) | コメント(0) |
アメリカ綿もはじく
 各地から綿のはじく便りが届いています。

 私の綿も、アジア綿ははじいたことはお伝えしました。

 しかし、アメリカ綿はなかなかはじけず。コットンボールは大きくなっているのに「台風でやられたかな」と思っていました。

 ですが、昨日アメリカ綿がひとつはじけていました。

131007アメリカ綿

 花が咲き終わり葉が落ち始めても、水やりを続けるのかと思いきや、「やらなくても大丈夫」とアドバイスをうけました。

 まだまだたくさんのコットンボールがついています。どうか、これからはじけますように。

[2013/10/07 06:38] | ワタづくり2013 | トラックバック(0) | コメント(0) |
自転車奮闘記⑤ やったー
 2こぎできるようになれば、自転車に乗れるのは時間の問題です。さらに練習を続けました。

 ですが、しばらく1こぎ2こぎどまりでした。

 親としては、「あぁしたら」「こうしたら」と、逐一いいたくなるもの。でも、娘自身から「どうしらいいのか」と質問をしてくるまでは、余程のことがない限り口出しはしないと決めていました。

 なかなか、次の段階にいけない娘。

 すると、「とっと。ポイントはなぁに?」(私は娘からは「とっと」と呼ばれています)

 きたきた!  このときを待っていました。

 「ポイント」という言葉を娘が知っていたのにも驚きましたが、自ら「教えてもらいたい」という気持ちになったことがうれしくなりました。

 娘には、すぐにペダルから足を外さないよう我慢してこぎ続けるようアドバイスしました。

 すると、

 わぁ、やった!  乗れたのです。

 娘も、突然乗れるようになって、自分でも驚いている様子。

131006乗れた

 娘にとって、大きく自信がついた一日となりました。

 さて、この間FBでも娘の自転車の練習の様子をアップしてきました。みなさまからのコメントが、娘にとっても励みになっていました。

 

私自身、自転車に「ふっと」乗れるようになったのは、いつの頃だったか思い出せません。それでも、大きく飛躍した感動は覚えています。それもみなさまも同じのはず

 

 そんな、それぞれの体験と重ね合わせて、今回の娘の飛躍を応援してくれた方もいらっしゃいました。

 

 

 あらためてお礼を申し上げます。

 
 
 

 


 
 
[2013/10/06 06:45] | | トラックバック(0) | コメント(0) |
自転車奮闘記④ 正夢?
  9月の、練習から4週目に入った朝のことでした。隣で寝ている娘が、何やら寝言をいっています。

 「のれた〜」。

 ん? 夢をみているのか? 

 娘を起こして、きいてみると

「あのね、いまね、じてんしゃにのれたゆめだったよ」

 これはチャンスかも!

 さっそく練習へ。娘も張り切っています。

 確かに、なんだかコツがつかめてきそうな予感。ご近所で、いつも練習を見守ってくれた方々も応援してくれます。

 「ペダルを外して練習するといいよ」とご近所の方がいったとたん、娘は素直にペダルを外して練習しだしました。

131005声援

 私がアドバイスしても、頑としてペダルを外さなかった娘。

 人とタイミングによって、アドバイスを受け入れるかどうかは違うのですね。

 しばらく練習すると、なんと2こぎできました。

 この瞬間に撮った写真です。たまたま朝日に照らされていました。娘も自信をつけた様子。

1309240632のれた 

 がんばる姿が、とてもいとおしくみえました。(続く)

[2013/10/05 07:05] | | トラックバック(0) | コメント(0) |
自転車奮闘記③ コツがつかめず
 娘は翌日から、朝早く起きて練習すると決めました。

 私は自転車屋さんのアドバイス通りに、まずはペダルを外してから練習をした方がいいと思ったのですが…。
 
 娘は、頑として「ペダルをつけて乗りたい」というのです。

 まぁ、娘の好きなように練習させました。このあたりは、親としての我慢のしどころです。
 
 朝練は毎日ではないものの、週に3回ほど行いました。

 1週間たち、2週間たち、3週間たち…

 それでも、娘はコツがつかめませんでした。

 時には転び

131004転んだ



 時には悔しい思いをしました。

131004できない


 「保育園のお友だちと練習しようか?」ときくと、「れんしゅうしていることは、みんなにはないしょ」。娘なりの、プライドがあるようです。

 そんな日々が3週間続き、練習を開始して4週間目に入りました(続く)。


[2013/10/04 06:39] | | トラックバック(0) | コメント(0) |
自転車奮闘記② ペダル外し
 今日から七十二候で「水始涸」(みずはじめてかれる)。田んぼの水を干す頃です。はざがけをしている田んぼもみかけるようになりました。まだ暑い日もありますが、秋真っ只中ですね。

 さて、娘の自転車奮闘記。

 娘が自転車に乗りたがったのは、保育園のなかよしなかまたちが自転車に乗れる姿を目の当たりしたから。刺激をうけてしまいました。

 9月1日に近所の自転車屋へ。補助輪を外してスタンドをつけてもらいました。

 自転車屋さんが「自転車のペダルの外し方を教えますよ」。ペダル横にあるボタンを押すと簡単にとれました。

131003ペダル


 
 なんでも、補助輪なしで乗れるために、まずはペダルなしで両足でけり出す練習をし、バランスをとれるようにするのがポイントとか。

 その日の夕方からペダルを外して練習開始。

 よろよろ おろおろ

’130908ペダル外し

 開口一番の娘の言葉「思ったより難しいねぇ」。簡単に乗れるものだと想像していたようです。(続く)

[2013/10/03 06:47] | | トラックバック(0) | コメント(0) |
自転車奮闘記① 「乗れるようになりたい」
 来年4月消費税8%を報じる新聞の見出しに、「1997年からの負の歴史をなぜ繰り返すのか」と、苛立つ朝を迎えています。

 さて、娘は現在6歳。保育園の年長です。今は、名古屋のマンション住まいですが、来年4月から松平の小学校に通います。

 私は「育児は育自」を信条にしています。娘の「できる」という経験や成長を通して、私も成長しようと思っています。

 これまで、このブログでは娘のあれこれを綴ってはきませんでした。が、ブログでも娘の「生きていくための術」や「できるようになった経験」を記録するのも大事なのでは、と思いつきました。

 つまり、何がいいたいのか…。

 娘が、補助輪なしで自転車に乗れるようになりました。

 これからの暮らしで、自転車は必需品です。と同時に、自転車に乗れるようになった感動を多くのみなさんが覚えているのでは?

 そこで、娘が乗れるようになるまでのプロセスを、このブログでも紹介しよう、と思ったのです。

 しばらく、その奮闘記を綴ります。

 娘が「補助輪なしで自転車に乗れるようになりたい」といいだしたのは、8月下旬のことでした。

130901はずす’

(続く)

[2013/10/02 07:17] | | トラックバック(0) | コメント(0) |
| ホーム | 次のページ>>
プロフィール

Author:おぎゅうびと
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR