城址とガラ紡の里山暮らし
愛知県豊田市松平。徳川家のルーツにあたる里山です。その里山に2014年から暮らしはじめた家族のどたばた。松平で祖父が営んできたガラ紡のあれこれ、松平のなかでも大給城址の季節の移ろいを紹介していきます。
【豊田市平和を願う戦争展③ 20代の若者が】
 豊田市平和を願う戦争展について書いています。

 展示では松平でなくなった195人の犠牲者がどこでなくなったかを一覧にしています。それによると、

160822展示③


1932~36年 2
1937年 5
1938年 4
1939年 3
1940年 2
1941年 5
1942年 7
1943年 11
1944年 75
1945年 77
1946年 12
1947年 2
不明  1

 合計数は195人ではなく、206人となりますが、多くは1944年1945年に集中し、1946年以降亡くなった方も少なくありません。

 また、戦争で犠牲者となった場所の一覧も展示されていました。

160822展示④


 中国(満州含む) 48人
 フィリピン 41人
 マリアナ諸島 18人
 ニューギニア 9人
 ビルマ  7人
 シベリア 5人

 上記以外にも太平洋各地で犠牲となっていることがわかります。

 この表を見て、我が家の代々の墓がある墓地へ、同じ墓地には、戦争で犠牲となられた方は5人いらっしゃいます。あらためて墓碑をみてみました。

・昭和12年(1937年)8月21日に 徐州の戦争で手りゅう弾が左大腿にあたり亡くなる(30才)

・昭和18年4月に入隊して6月に中国へ。昭和19年1月6日に病院で戦病死。23歳

・昭和19年2月に満州へ飛行隊として派遣。昭和21年2月5日ソ連のウランデ地区の収容所で病死。23歳。

・昭和14年5月入隊。香港攻略に参加。昭和16年12月19日戦死。24歳

・昭和20年5月中国の戦争に参加。5月15日に戦病死。20歳

 今でも静かな松平大給の里でも、戦争の爪あとが残っていました。20歳代前半に亡くなった方が4人。シベリアに抑留されていた方もいたと知り、胸が痛みました。

 私の20歳代前半は学生で、仕事を始めたばかりで希望にあふれていました。若者が戦争でなくなると知り、なんといえない感情がこみあげます。(続く)


[2016/08/23 06:16] | 戦跡 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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