城址とガラ紡の里山暮らし
愛知県豊田市松平。徳川家のルーツにあたる里山です。その里山に2014年から暮らしはじめた家族のどたばた。松平で祖父が営んできたガラ紡のあれこれ、松平のなかでも大給城址の季節の移ろいを紹介していきます。
【豊田市平和を願う戦争展⑦ トヨタが攻撃された】
 豊田市平和を願う戦争展について書いています。今回は3発目のパンプキン爆弾について。

 投下されたのはトヨタ本社工場でした。米軍はトヨタを「航空機も製造している」と認識して攻撃対象としていたとのこと。

160827パンプキン爆弾トヨタ
 
 当時、トヨタの養成所にお勤めで、爆撃の着弾の瞬間を目撃した教官の証言が紹介されていました。

  • 8月14日に朝礼で「今日はトヨタに空襲がある。しかるべき対処をするように」と田中少尉から指示された。
  • 11時半ごろに生徒を誘導して退避させ、B29飛襲来に備えた。やがて、B29が飛来した。トヨタ自動車の工場にボンという音がして命中した。
  • 落下場所は、本社工場にある鋳物工場。ちょうど爆弾が破裂する状態をみていたが、ちょうど映画をみるような見事な典型な爆弾破裂で、破砕物と爆弾の噴煙が上空に高く舞い上がりました。とうとうトヨタもやられたなぁと思った。
  • 当時は1万人以上の従業員がいましたが、犠牲者は一人も出なかった。、


 現在のトヨタ本社工場ができたのは1937年9月。当時豊田喜一郎氏が竣工式の祝辞で次のように述べているそうです。

「自動車は軍事行動に必要、真に軍の足たり、自動車は和戦の武器、われらの事業は国命なり、自動車は国の武器なり、武器を作る任務は重い」(戦争展のパンフレットより)

 トヨタは、戦争が始まるとトラックの生産をはじめて、飛行機も製造しています。戦況が厳しくなり人員不足・資源不足なると、当時の朝鮮から人を集めてきたという記録もあるようです。

 
 パンプキン爆弾投下翌日に終戦。トヨタが壊滅的な打撃をうける前でした。それは「トヨタにとっては幸運だった」と証言した教官も述べています。

 豊田英二氏は「米軍のスケジュールによれば、1週間後、すなわち8月21日に豊田市に爆弾を落とし、焼き払う計画だった」と回顧されています。

 戦時中、トヨタは戦争のための自動車を生産していましたが、幸いにも米軍からの攻撃は壊滅的にならずに済みました。戦争がおわって71年たち、トヨタはグローバルな企業となりました。

 残念ながら、世界では戦争が続いています。トヨタ車に乗って戦闘行動をしている紛争地の写真をみると悲しくなります。

 軍事用トラックをトヨタは生産をしているときいています。私はトヨタには平和のための車をつくってほしい。戦争に寄与するような車はつくらないでほしい。

 そして、戦闘用の車が必要のない世界をつくるのは、私たち市民の平和の願う気持ちとアクションであると、第3発目のパンプキン爆弾の資料をみて決意をあらたにしました。

[2016/08/27 09:11] | 戦跡 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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