城址とガラ紡の里山暮らし
愛知県豊田市松平。徳川家のルーツにあたる里山です。その里山に2014年から暮らしはじめた家族のどたばた。松平で祖父が営んできたガラ紡のあれこれ、松平のなかでも大給城址の季節の移ろいを紹介していきます。
瀬戸ピースウォーク② 叔父は話さなかった
 5月下旬とはいえ、朝はとてもひんやりする日が続いていますね。

 さて、ピースウォークの続きです。

 加藤民吉(磁祖とよばれています)生誕の地を通って、まず向かったのは皇居遥拝所です。

140523遥拝所

 戦時中は、毎月1日を興亜奉公日として「戦場の労苦を思い、戦争に協力する日」と定められました。全員早朝に皇居に礼拝をしてそうです。この日は、勤労者も学童も弁当は梅干し1個(日の丸弁当)。瀬戸2カ所残っています。

 瀬戸の街並みは、通りは陶器が使われた壁もあり、「瀬戸らしさ」を感じます。

140523壁


 次に、到着したの「無風庵」です。瀬戸の街並みを見下ろす場所に、茅葺きの建物があります。

140523無風庵

 この地には、太平洋戦争で亡くなれらた兵士の慰霊碑「殉国慰霊塔」と、日清・日露戦争で亡くなられた兵士の「忠魂碑」があります。この碑は砲弾の形をしています。

140523慰霊塔  

140523忠魂碑

 瀬戸市では、終戦間際の1945年に入ってから兵隊にいかされた方が多かったようです。

 「無風庵」でお茶を用意してくださいました。その女性スタッフから、たまたま戦争にまつわる話をしてくださいました。

  •  叔父がパプアニューギニアへ出兵していた。日本に帰ってくることができたが、叔父は戦争のことは1度も話すことはなかった。話せなかったのだろう。それぐらい、戦争があたえた精神的ダメージは大きいのだと思う。


  • 戦争直後は、とにかく食べるものがなくてひもじかった。いつもいつもさつまいもで、私はいまでもさつまいもはあまり好きじゃないね。当時のことが思い出されるからね。

 思わぬ場所で戦争体験を聴きました。戦争というものは、精神的ダメージと貧乏をもたらすものだと、今回の話からもよくわかりました(続く)。

[2014/05/23 06:00] | 戦跡 | トラックバック(0) | コメント(0) |
<<瀬戸ピースウォーク③ 陶製の梵鐘 | ホーム | 瀬戸ピースウォーク➀ 尾張瀬戸駅スタート>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバック URL
http://ogyuubito.blog.fc2.com/tb.php/657-eed053ee
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
プロフィール

おぎゅうびと

Author:おぎゅうびと
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR